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オーテックジャパン : ミニ英和和英辞書
オーテックジャパン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

オーテックジャパン : ウィキペディア日本語版
オーテックジャパン[ちょうおん]

株式会社オーテックジャパン(''AUTECH JAPAN, INC.'')は、日産自動車グループの一社であり、日産の特装車事業などを手がける。
== 沿革 ==
1986年10月、日産プリンス自動車販売(1987年に日産自動車販売に統合)の特販推進室の業務を譲り受け、日産自動車特装車部門の開発企画・製造を目的とした関連企業としてオーテックジャパンが設立され、初代社長には、日産自動車と合併する以前のプリンス自動車工業出身の桜井眞一郎が就任した。
初代社長に就任した桜井は、長年にわたってスカイラインの開発に携わった人物である。旧・プリンス時代に発売されたスカイラインの初代から企画開発に携わり、2代目(S50型)では開発責任者(開発主管)となり、日産と合併した後に発売された3代目(C10型・ハコスカ)、4代目(C110型・ケンメリ)、5代目(C210型・ジャパン)、6代目(R30型・ニューマン)、7代目(R31型・7th〈セブンス〉)と連続して開発責任者(開発主管)を務めたが、7代目の企画開発が終盤に差し掛かった1984年に突然病に倒れて入院する事となり、以後のスカイラインの開発責任者(開発主管)は、旧・プリンス時代からの後輩であり一番弟子の伊藤修令に後継者として任せることとなった。
後に、無事に手術を終えて退院し復職した桜井は、長年携わっていたスカイラインの開発責任者(開発主管)には復職せず、日産の新設部署である技術車両設計部の部長に就任して「パイクカー」の企画開発に携わっていたが、桜井がスカイラインを人気車種に育て上げた功績と、桜井自身が旧・プリンス時代からの商品企画に継承されていた妥協しない技術者魂の職人気質であること、旧・プリンスと比べて規模の大きい日産では桜井が理想とする仕事がなかなかし難い環境であったことで、こうした桜井の良き理解者でもあった当時の久米豊日産社長の計らいにより、1986年10月、「大手を食う=オーテック」との久米社長のダジャレから考案され「Automobile Technology in Japan」を略称した特装車部門の新会社として設立された「オーテックジャパン」の初代社長に就任して1987年5月に待望の社屋が竣工した。
ちなみに、オーテックジャパンの社屋デザインは、桜井が日産時代にスカイラインの開発主管を務めていた際、桜井のこだわりの1つであった「直列6気筒エンジン」をイメージしたデザインで建築されており、他に「V型6気筒エンジン」をイメージしたデザインの別棟も存在している。
桜井が初代社長として就任した「オーテックジャパン」には、桜井が突然病に倒れて入院した後を急遽引き継いで、スカイラインのR31型(7th〈セブンス〉)とR32型の開発責任者(開発主管)を務め、R32型ではC110型(ケンメリ)以来17年ぶりにGT-Rを復活させた旧・プリンス出身の伊藤修令が常務取締役(現在は顧問)に就任し、元・プリンスワークスドライバーの古平勝などの旧・プリンス出身者や、旧・プリンス時代から継承されている日産の企画開発部門・関連各社出身者で構成される、通称「桜井学校」「桜井ファミリー」と称される旧・プリンス入社組を含む日産社員や、1979年10月-1984年10月までテレビ朝日系で放送されていた石原プロモーション製作テレビ映画「西部警察」で、当時、日産プリンス自動車販売の特販推進室にて受注したフェアレディZスカイラインなどの数々の特殊車両を製作した日産社員などが、オーテックジャパンに数多く出向・移籍しており、意欲的な特装車の開発や、スカイライン、シルビアの独自チューン、オーテック・ザガートステルビオの開発などで絶えず注目を浴び、日産ファンをはじめとして、旧・プリンスファン、歴代のスカイラインファン、自動車ファンなどから信頼の厚い特装車メーカーとして名を馳せている。
なお、オーテックジャパンの設立の準備段階から関わり初代社長を務めていた桜井は、1995年にオーテックジャパンから独立して「エス・アンド・エス エンジニアリング」を設立しており、主に旧車のレストアやボディー補強材やディーゼルエンジンの排出ガス浄化装置の開発・販売を主な業務とし、桜井がオーテックジャパンに在籍していた時代と同様、信頼の厚いメーカーとして名を馳せており現在に至っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オーテックジャパン」の詳細全文を読む




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