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オーウェン・ラティモア : ミニ英和和英辞書
オーウェン・ラティモア[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

オーウェン・ラティモア : ウィキペディア日本語版
オーウェン・ラティモア[ちょうおん]

オーウェン・ラティモア(Owen Lattimore、1900年7月29日 - 1989年5月31日)は、アメリカ合衆国中国学者。第二次世界大戦前には太平洋問題調査会(IPR)の中心的スタッフを長くつとめ、また戦時期には中華民国蒋介石の私的顧問となるなど合衆国の対中政策の形成に関与していたため、戦後はマッカーシズム赤狩り)の標的の一人となり迫害を受けた。
1942年中央アジアの探険、研究に対して、イギリス王立地理学会から金メダル(パトロンズ・メダル)を贈られた。
== 来歴 ==

* 1900年7月29日にワシントンD.C.で生まれ、少年時代を中国天津で過ごした。
* 1913年 - 1914年 スイスローザンヌにあるコレージュ・クラシック・カントナルで学ぶ。
* 1915年 - 1919年 イギリスのセント・ビーズにあるセント・ビーズ・スクールで学ぶ。
* 1919年 中華民国に行き、新聞社の『』(、)に勤務する。
* 1922年 - 1926年 貿易商杜アーノルド&Co.テンシン・アンド・ペキンに勤務する。
* 1928年 - 1929年 アメリカのハーバード大学人類学部大学院で研究する。
* 1933年 - 太平洋問題調査会(IPR)のメンバーになる。
* 1934年 - 1941年 IPR機関誌『パシフィック・アフェアーズ』の責任編集を務める。
* 1938年 アメリカのジョンズ・ホプキンス大学でペイジ国際関係大学院長を務める。
* 1941年 - 1942年 蒋介石の私的顧問を務めるために中国の重慶へ行く。
* 1942年 - 1945年 OWIサンフランシスコ局長を務める。
* 1963年 - 1970年 イギリスのリーズ大学で中国学部学部長を務める。
* 1989年5月31日にロードアイランド州プロビデンスで世を去った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オーウェン・ラティモア」の詳細全文を読む




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