翻訳と辞書
Words near each other
・ オットー・クンツリ
・ オットー・クーシネン
・ オットー・グラーフ・ラムスドルフ
・ オットー・グローテヴォール
・ オットー・ケルロイター
・ オットー・ケーニヒスベルガー
・ オットー・ゲオルク・ティーラック
・ オットー・ゲオルグ・ティーラック
・ オットー・ゲスラー
・ オットー・コンラード
オットー・ゴットリープ・モーニッケ
・ オットー・ゴルトシュミット
・ オットー・ザンダー
・ オットー・シュタインホイスル
・ オットー・シュタッフ (植物学者)
・ オットー・シュテルン
・ オットー・シュトラッサー
・ オットー・シュトルツ
・ オットー・シュトルーベ
・ オットー・シュニーヴィント


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

オットー・ゴットリープ・モーニッケ : ミニ英和和英辞書
オットー・ゴットリープ・モーニッケ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

オットー・ゴットリープ・モーニッケ : ウィキペディア日本語版
オットー・ゴットリープ・モーニッケ[ちょうおん]
オットー・ゴットリープ・モーニッケ(Otto Gottlieb Johann Mohnike、1814年7月27日 - 1887年1月26日)は、ドイツ医師である。日本に牛痘苗をもたらし、日本の天然痘の予防に貢献した。
シュトラールズントに生まれた。文献学を学んだが、父の友人エルンスト・モーリッツの影響で医学に転じた。各地の大学で医学を学び、シュトラールズントの父の屋敷で医者を開業した。1844年にオランダ領東インドジャワに派遣され、1848年から1851年まで長崎出島で働いた。佐賀藩鍋島閑叟オランダ商館長に牛痘苗のとりよせを求めたので、来朝時に痘苗を持参したが、接種しても感染せず、再度バタヴィアから痘痂を取り寄せ、1848年7月に鍋島藩医の楢林宗建の息子に接種、善感し、この痘苗は日本の各地へ受け継がれていくこととなった。閑叟の息子の淳一郎(後の藩主直大)も接種をうけた。それまで日本への牛痘苗の輸送は、航海中に効力が失われ失敗していたが、この成功によって牛痘法は日本に広まっていった〔『医学の歴史小川鼎三著、中公新書〕。モーニッケは日本に初めて聴診器を持ってきたことでも知られる。
1869年に退職し、家族とともにボンに住んだ。ジャワ、スマトラセレベス島モルッカ諸島博物学の著書もある。モーニッケの墓は日本の医学史学会の協力で復元された。
==著書==

* De instinctu sexuali eiusque natura atque causis (Dissertation, Berolini: Feister, 1837)
* Die Japaner - Eine ethnographische Monographie (Aschendorff'sche Buchhandlung, Münster, 1872)
* Banka und Palembang nebst Mittheilungen über Sumatra im Allgemeinen (Aschendorff'sche Buchhandlung, Münster, 1874)
* Über geschwänzte Menschen (Aschendorff'sche Buchhandlung, Münster, 1878)
* Blicke auf das Pflanzen- und Thierleben in den niederländischen Malaienländern (Aschendorff'sche Buchhandlung, Münster, 1883)
* Affe und Urmensch (Aschendorff'sche Buchhandlung, Münster, 1888)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オットー・ゴットリープ・モーニッケ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.