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エリック・カーメン : ミニ英和和英辞書
エリック・カーメン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エリック・カーメン ( リダイレクト:エリック・カルメン ) : ウィキペディア日本語版
エリック・カルメン[ちょうおん]

エリック・カルメンEric Carmen、Eric Howard Carmen、1949年8月11日 - )はアメリカの歌手、ミュージシャン。
== 略歴 ==
オハイオ州クリーブランド出身。幼少の頃から音楽に親しみ、3歳の時にはすでにクリーブランド研究所に登録された中で最も若い学生だった。6歳の時、叔母やクリーブランド・シンフォニー・オーケストラのバイオリニストからレッスンを受けた。11歳ころまで自身の歌を書きながら、ピアノを傍らにメロディ・メーカーとしての基礎を固める。また、ビートルズローリング・ストーンズの影響でロックンロールにも目覚め、高校時代にバンドを結成。
ジョンキャロル大学に入学し、Cyrus Erie というバンドを結成。(エピック・レコードからシングルをリリース)。ギタリストのWally Bryson、友人の Dave Smalley と Jim Bonfantiと共に新たにラズベリーズを結成する。
ラズベリーズのボーカリストとしてメジャー・デビュー、クリーブランドでは早速ロックンロール・グループとして人気が出た。
1972年セルフ・タイトル・アルバムをリリース。
キャピトル・レコードと契約後、"Go All The Way" がビルボード・シングル・チャートの5位まで上昇、以降「明日を生きよう」「レッツ・プリテンド」「エクスタシー」などもヒットさせる。しかし1974年、メンバー間の恋愛関係を原因に解散する。
1975年アリスタ・レコードからソロ・デビュー・アルバム『オール・バイ・マイセルフ』をリリース。表題作を含む3作のシングルが上位にランクイン。
1976年、「オール・バイ・マイセルフ」が全米2位の大ヒットを記録した。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をモチーフにしたこの曲は、途中にピアノ協奏を挟んだ7分超のドラマチックな大曲。多くの歌手にカバーされたほか、日本では何度かCMに使われたことがある。
同年の「恋にノータッチ(Never Gonna Fall in Love Again)」もまた、ラフマニノフの交響曲第2番をモチーフにした佳曲である。
1978年世界歌謡祭のゲストで来日。翌年には来日公演を行った。
映画『フットルース』のために書き下ろした“Almost Paradise”(愛のテーマ)」は、1984年に作曲家としての存在を改めて示し、1987年に再び映画『ダーティ・ダンシング』への書き下ろし『ハングリー・アイズ』『メイク・ミー・ルーズ・コントロール』でチャートインした。
1999年夏には、リンゴ・スターとツアーに出た。
2004年11月に、31年ぶりにラズベリーズがオリジナル・メンバーで再結成。ニューヨーク・デイリー・ニュースで、年間のベスト・コンサートにラズベリーズが選ばれた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エリック・カルメン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Eric Carmen 」があります。




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