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エマーム広場 : ミニ英和和英辞書
エマーム広場[ば]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
広場 : [ひろば]
 【名詞】 1. plaza 
: [ば]
 【名詞】 1. place 2. field (physics) 

エマーム広場 ( リダイレクト:イマーム広場 ) : ウィキペディア日本語版
イマーム広場[-ひろば]

イマーム広場(-ひろば)はイランエスファハーンにある広場
まわりをを基調とした精密なアラベスク模様のタイルで覆われた荘厳なモスクや宮殿によって囲まれていることから、かつては「ここには世界の半分がある」とも言われた。
ユネスコ世界遺産に登録されている。
== 歴史 ==
このイマーム広場は、かつて「メイダーネ・シャー ميدان شاه Meydān-e Shāh 」(王の広場)と呼ばれ、正式名称は「メイダーネ・ナクシェ・ジャハーン میدان نقش جهان Meydān-e naqsh-e jahān」(世界の肖像の広場)である。1598年、首都をイスファハンへ移したサファヴィー朝シャー・アッバース1世は、大規模な都市計画にもとづいて新しい市街を旧市街の西南方に建設しはじめた。その中核となったのが、広場である。この広場は南北512m、東西159mという広大な長方形で、周囲を整然たる2層のアーケードで取り囲み、四辺にそれぞれ1件ずつモニュメンタルな建築が配置されている。
まず、南辺中央には大寺院イマーム・モスクのイーワーン状の門が位置する。このモスクは、イランの近世イスラーム建築を代表する傑作として名高く、チャハール・イーワーン形式(四イーワーン形式)をとっている。東の小寺院シェイフ・ロトフォッラー・モスクは、王族のための専用礼拝堂であった。規模こそ小さいが、壁面やドームを覆う彩色タイルのアラベスクが格別に美しく、サファヴィー朝建築の白眉といえる。北にはバザールの門ダールワーザ・イ・カイセリーヤ、西には王宮の門、アーリー・カープー宮殿が位置する。この広場は、16世紀末から少なくとも2段階の整備、改築過程を経て、1617年頃までに現在見られるような姿が完成した。特に、19世紀後半以降大規模な改変を被ったが、今日も基本的な構造は創建当時の姿をとどめている。1960年代には、イタリア中東研究所による「イマーム広場」周辺の修復工事が開始され、それに伴う考古学的発掘成果が次々と発表された。
現在、広場は池などを設けて公園化されているが、本来は一面砂敷きの平坦なグランドで、各種の儀式や競技がここで催された。また、広場を囲む長大なアーケードは、上下2層のうち下層だけが店舗として活用され、アーチ1単位ごとに区分し、商人や手工業者に貸与されていた。現在は数多くのクラフトショップが並んで、バザールとともにショッピングのメッカとなっている。モスクのドームや壁面のタイルのアラベスクは、イラン芸術の最高美と賞賛されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Naqsh-e Jahan Square 」があります。




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