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エマ・アルバーニ : ミニ英和和英辞書
エマ・アルバーニ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エマ・アルバーニ : ウィキペディア日本語版
エマ・アルバーニ[ちょうおん]

デイム・エマ・アルバーニDame Emma Albani, 1847年11月1日 - 1930年4月3日)は19世紀20世紀初頭において先導的な役割を果たしたソプラノ歌手であり、また国際的スターにまで登り詰めた最初のカナダ歌手
彼女のレパートリーはモーツァルトロッシーニドニゼッティベッリーニワーグナーオペラに集中しており、それらをヨーロッパアメリカで演奏してまわった。

== 幼少期 ==

アルバーニはマリー=ルイーズ=エマ=セシル・ラジュネスMarie-Louise-Emma-Cécile Lajeunesse)として、カナダ連合州〔訳注:1841年から1867年までのイギリス統治下のカナダ。1867年7月1日に4州にわかれ、自治領カナダ連合となった。(United Province of Canada)〕のシャンブリー〔訳注:ケベック州の南西部。モントリオールからは25kmの距離に位置する都市。(Chambly)〕で生まれた。父はジョセフ・ラジュネス(Joseph Lajeunesse)というプロの音楽家であり、母はメリーナ・ミニョー(Mélina Mignault)であった〔〔。彼女の生年月日は通常1847年11月1日とされるが、人によっては1848年から1850年の間とすることもあり、本人の回想録では1852年生まれとなっている。彼女はまず母親について音楽の学習を始め、5歳の時に父がその役割を引き継いで音楽教育を施した。父は熟練の音楽家であり、ヴァイオリンハープピアノそしてオルガンの腕に覚えがあった。父はアルバーニに厳しい練習を課し、彼女の1日のハープとピアノの稽古は4時間にも及んだ。
1852年、一家はニューヨーク州プラッツバーグに移り住んだ〔。1856年に母を失った後も、彼女はモントリオール修道会で勉学に勤しんだ。この修道会は聖母聖心大学〔訳注:フランス語で教育を行うカトリック系私立学校。1869年設立。モントリオール、ケベックに校舎を持つ。(Dames du Sacré-Coeur)〕の運営するもので、アルバーニの父はそこで音楽指導者の職に就いていた。ここでの学びは彼女にとって他で受けられるものよりも良質であり、また追加の音楽指導も受けることができた。1860年8月24日、彼女はアデリーナ・パッティ〔訳注:スペイン生まれで19世紀の名高いソプラノ歌手。ヨーロッパアメリカでキャリアを積んだ。(Adelina Patti)とともに、シャルル・サバティエ〔訳注:フランス生まれ、カナダで活躍したピアニストオルガニスト作曲家。(Charles Wugk Sabatier)〕の「カンタータ」の世界初演のソリストを務めた。この公演はウェールズ公の臨席のもと行われた栄誉あるものだった。しかしながら、ケベックでは女性が歌い演じることは望ましくないとされており、ついに音楽教育にかかる費用が工面できなくなったアルバーニは、1865年に家族とともにニューヨークのオールバニに移る。そこで彼女は歌手、オルガニスト、歌唱指導者として有名になり、教育費をまかなうことができるようになった〔Morgan, Henry James Types of Canadian women and of women who are or have been connected with Canada: (Toronto, 1903) 〕。
1868年にアルバーニはパリに赴き、パリ音楽院でジルベール・デュプレ〔訳注:フランスのテノール歌手。ハイCに届く声域の開拓者として知られる。(Gilbert-Louis Duprez)〕の下で学んだ。6ヶ月のパリでの修業の後、彼女は次にイタリアに向かい、そこでフランチェスコ・ランペールティ〔訳注:イタリアの歌唱指導者。アルバーニを含む数多くの門人を送り出し、その功績によりイタリアでナイト(en)に叙せられた。(Francesco Lamperti)〕よりイタリア・オペラ歌唱法を学ぶ。彼女は発声法を習っていたシニョール・デロレンツィ(Signor Delorenzi)の勧めに従い、よりヨーロッパ風に聞こえるようにとシンプルなエマ・アルバーニEmma Albani)に改名した。1870年、彼女はアルバーニの名字を使い、メッシーナでベッリーニの「」を歌ってデビューを果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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