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エセン・ハーン : ミニ英和和英辞書
エセン・ハーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エセン・ハーン : ウィキペディア日本語版
エセン・ハーン[ちょうおん]

エセン・ハーンモンゴル語:Эсэн тайш хаан 、英語:Esen taishi、?〔『蒙古源流』では丁亥1407年)の生まれとしている。〕 - 1454年)は、15世紀中頃のオイラトの首長。はじめエセン・タイシ〔タイシ (Tayisi) は、中国語の「太師」に由来するモンゴル語の称号である。北元期のモンゴルでは、チンギス・カンの血を引かない貴族のうちの最有力者が称した。〕と称し、漢文史料では也先と表記される。
オイラトの最大版図を築き、1449年にはに侵攻して土木堡(現在の河北省張家口懐来県)の地で明軍を破り、皇帝・英宗正統帝を捕虜とした(土木の変)。その後、非チンギス・カン裔のモンゴル貴族として初めてハーンを称したが、部下の反乱によって滅ぼされた。
==生涯==

=== 生い立ち ===
エセンは、オイラトの首長(脱歓)の子である。オイラトは13世紀以来モンゴル高原の西部に盤踞し、チンギス・カンの子孫と代々通婚関係を結んだモンゴル高原の有力部族で、15世紀北元が衰えると急速に成長した。
当時のモンゴル高原ではチンギス統原理により、チンギス・カンの男系子孫でない者はハーンとなることができなかったので、トゴンは1430年代に明の保護下にあったチンギス・カンの末裔トクトア・ブハ(脱脱不花)を自領に迎え入れてハーンに立て、自らはタイシを称した。1434年、トクトア・ブハとトゴン・タイシは、東モンゴルの有力者アルクタイをオルドスに破り、モンゴル高原の大半を支配下に置いた。
トゴン・タイシ存命中のエセンの活動はほとんど史料に見られず、明らかではない。1439年、トゴン・タイシが死ぬと、エセンはタイシの称号を継承し、引き続きトクトア・ブハをハーンに立てた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エセン・ハーン」の詳細全文を読む




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