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ウディ・アレン会見 : ミニ英和和英辞書
ウディ・アレン会見[-かいけん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 
会見 : [かいけん]
  1. (n,vs) interview 2. audience 

ウディ・アレン会見 : ウィキペディア日本語版
ウディ・アレン会見[-かいけん]

ウディ・アレン会見』(-かいけん''Meetin' WA'')は、ジャン=リュック・ゴダール監督による、1986年製作のフランスの短篇ビデオ映画である。ウディ・アレンへのゴダールによるインタビューを収録したドキュメンタリーである。'Meetin' WA'')は、ジャン=リュック・ゴダール監督による、1986年製作のフランスの短篇ビデオ映画である。ウディ・アレンへのゴダールによるインタビューを収録したドキュメンタリーである。')は、ジャン=リュック・ゴダール監督による、1986年製作のフランスの短篇ビデオ映画である。ウディ・アレンへのゴダールによるインタビューを収録したドキュメンタリーである。
== 概要 ==
1985年第38回カンヌ国際映画祭の期間中、イスラエルからハリウッドに進出して気を吐く映画プロデューサーメナヘム・ゴーランとランチをとったゴダールは、100万ドルで、作家のノーマン・メイラーをリア王に、ウディ・アレンを道化にしたシェークスピアの『リア王』の映画化を了承する。即座にレストランのナプキンにサインされ、契約は締結される。この時点で、トム・ラディが『ゴダールのリア王』(1987年)のプロデューサーとして雇われる。
当時、アレンは翌1986年第39回カンヌ国際映画祭で新作『ハンナとその姉妹』がプレミア上映されることが決まっており、ここ数年カンヌに行っていないことからナーヴァスになっていた。ラディがゴダールにサジェスチョンしたのは、『ゴダールのリア王』の製作開始を延期しているあいだに、アレンに対しゴダールが新作についてのインタビューをし、それを映画祭でサプライズ上映すること。このアイデアをゴダールも、アレンも、カンヌのディレクターのジル・ジャコブGilles Jacob)も気に入り、映画祭サイドとスイスのテレビ局から製作資金を得た。このドキュメンタリーは、たんなるインタビューよりもクリエイティヴなものに仕上がった〔The American Friend: Tom Luddy on Jean-Luc Godard (英語)ブラッド・スティーヴンス(Brad Stevens)によるトム・ラディへのインタビューの記述を参照。〕。
撮影のクリスチャン・シモンピエトリは写真家である。ピエール・バンジェリは、ゴダールのグルノーブル時代のテレビシリーズ『二人の子どもフランス漫遊記』(1977年 - 1978年)で撮影監督ウィリアム・リュプチャンスキーの助手につき、また、本作ののち、オムニバス映画『パリ・ストーリー ''Les Français vus par...''』のゴダール篇『最後の言葉』(1988年)で撮影監督をつとめる。アネット・インスドルフは作品末尾では「ジャーナリスト」とクレジットされている。
本作は、黒味画面に大文字で「MEETIN' WA」の白抜き文字で始まり、ゴダールの声が聞こえる。カメラが引くと、それがゴダールの背中であることがわかる。そこはニューヨークのアレンのオフィス。窓から外を見下ろす彼の背中に彼の顔のイラストがオーバーラップする。アレンもゴダールも好きなサイレント映画で多用されたアイリスで、インタビューが始まり、アレンが紹介される。インタビューの進行に従い、「NORMAL MAN(ノーマルな男)」、「STRUGGLE(闘争)」、「TITLE(題名)」、「HANNAH KARENINE(ハンナ・カレーニナ)」〔ハンナ・カレーニン。レフ・トルストイ著『アンナ・カレーニナ』にかけたことば遊びである。〕、「FLASH GORDON(フラッシュ・ゴードン)」〔アメリカのコミック・ストリップフラッシュ・ゴードン』は、1980年ディノ・デ・ラウレンティスの製作により映画化された。〕、「THE ANXIETY OF THE MAN IN THE BOOTH(ブースの中の男の不安)」、「SUMMER IN NEW-YORK(ニューヨークの夏)」、「AUTUM CHILL(秋の凍え)」〔正しいスペルは「''Autumn Chill''」だが文字は画面のママ。〕、「THE BIG LEAP(大いなる跳躍)」〔「''The Big Sleap''(大いなる眠り)」、レイモンド・チャンドラーの小説(1939年)、ハワード・ホークス監督の映画『三つ数えろ』(1946年)の原題にかけたことば遊びである。〕、「LUCKY I RAN INTO YOU(あなたにあえてわたしはラッキーだ)」といった文字がインサートされる。オーソン・ウェルズエリザベス・テーラー、後半からは『インテリア』(1978年)、『マンハッタン』(1979年)ほかアレンの数々のフィルムがインサートされる。
この作品の発案者であるトム・ラディは、かつて「政治の時代」に踏み出したばかりのゴダールとD・A・ペネベイカーの共同監督作『ワン・アメリカン・ムービー』(1968年 - 1972年)に出演しており、1983年には、かつてゴダールにオムニバス映画『ベトナムから遠く離れて』(1967年)への参加を呼びかけたクリス・マルケル監督の『サン・ソレイユ』でマルケルの撮影助手をつとめた人物で、1987年には、かつてエリック・ロメールと「レ・フィルム・デュ・ローザンジュ」を共同設立したバルベ・シュレデールのハリウッドでの監督作『バーフライ』をメナハム・ゴーランの出資のもとプロデュースしている。ちなみに1985年、カンヌでの伝説の「ナプキン」をラディが最後に観たのは、ゴーランのオフィスでゴーランがナプキンに火を点けた瞬間だと言う〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウディ・アレン会見」の詳細全文を読む




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