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ウォルター・ストーセル : ミニ英和和英辞書
ウォルター・ストーセル[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ウォルター・ストーセル ( リダイレクト:ウォルター・ジョン・ストーセル ) : ウィキペディア日本語版
ウォルター・ジョン・ストーセル[ちょうおん]

ウォルター・ジョン・ストーセル(Walter John Stoessel, 1920年1月24日 - 1986年12月9日)は、アメリカ合衆国政治家外交官
== 生涯 ==
カンザス州マンハッタン生まれ。カリフォルニア州ビバリーヒルズ高校1937年に卒業し、1939年から1940年にかけてスイスローザンヌ大学に留学し、1941年スタンフォード大学を卒業した。また、1949年に研修生としてコロンビア大学でロシア語を学んだ。
1942年国務省外交部に入省。1942年から1944年までベネズエラカラカス領事館に三等書記官兼副領事として赴任した。第二次世界大戦終戦前後の1944年から1946年までは海軍の情報部員を務めた。
1947年から1949年までソビエト連邦モスクワ領事館に二等書記官兼副領事として赴任した。1950年から1952年まで西ドイツバート・ナウハイムに外務職員として赴任した。1956年から1959年まではフランスパリ領事館に一等書記官兼領事として赴任した。
1968年ジョンソン大統領から駐ポーランド大使に任命され、1972年まで同大使を務めた。ストーセルはポーランドにおいてニクソン大統領の中国訪問を手回しするため、アメリカ代表として中国と接触し、米中の会談を主催した。
1972年、ニクソン大統領からヨーロッパ・カナダ担当国務次官補に任命された。ストーセルはニクソン大統領とブレジネフ書記長が会談する場を設け、戦略兵器制限条約を締結とデタント(緊張緩和)の始まりをもたらした。1974年から1976年まで駐ソビエト大使を、1976年から1981年まで駐西ドイツ大使を務めた。1979年イランアメリカ大使館人質事件では、人質解放のために派遣された調査団の代表を務めた。
1981年、ストーセルはレーガン大統領から国務次官(政治担当)に任ぜられ、翌1982年国務副長官に昇格した。1982年7月アレクサンダー・ヘイグ国務長官辞任に際し、後任としてジョージ・シュルツが着任するまで、国務長官代行を務めた。
1986年12月9日、ワシントンD.C.で死去。遺体はアーリントン国立墓地に埋葬された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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