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ウィンストン・アブレイユ : ミニ英和和英辞書
ウィンストン・アブレイユ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ウィンストン・アブレイユ : ウィキペディア日本語版
ウィンストン・アブレイユ

ウィンストン・レオナルド・アブレイユWinston Leonardo Abreu, 1977年4月5日 - )はドミニカ共和国サンチェス・ラミレス州コツイ出身のプロ野球選手投手)。右投右打。現在はメキシカンリーグオアハカ・ウォーリアーズに所属。
== 経歴 ==
1993年7月2日、当時16歳でアトランタ・ブレーブスと契約する。翌1994年からはマイナーリーグで主に先発投手として試合に出場し、1996年までの3年間で38試合に登板するも、1997年は右肘靭帯のトミー・ジョン手術を受けたため、全休する〔http://mlb.mlb.com/team/player.jsp?player_id=275700#sectionType=career&statType=2&season=&gameType='R'〕。
1998年に復帰し、2000年には初めてダブルAやトリプルAを経験したが試合に出ることすらままならず、2001年もダブルAで34試合に投げ、防御率4.64と今一つの数字に終わった。また、2000年頃からリリーフとしての登板が中心になった。
長年ブレーブスの傘下でプレイしていたが、2001年9月にトレードでサンディエゴ・パドレスへと移籍。ここから所属チームが流動的になる。
2002年3月19日に早くもトレードでシカゴ・カブスへと移籍すると、4月30日には解雇され、今度は5月9日カンザスシティ・ロイヤルズ
と契約した。更にシーズン終了後にはフリーエージェントとなり、11月にニューヨーク・ヤンキースと契約する。
そして2003年のスプリング・トレーニングをヤンキースで迎えたが、3月21日に解雇され、結局この年のシーズンは浪人することになる〔。翌2004年1月12日ロサンゼルス・ドジャースと契約して球界復帰を果たすと、その後アリゾナ・ダイヤモンドバックスメキシカンリーグなどを経て、2005年12月20日ボルチモア・オリオールズと契約する。ちなみに、2005年のシーズンから完全にリリーフに専念することになった。
のシーズン、トリプルAで自己最高の数字を残していたアブレイユは、8月1日に遂にメジャー初昇格を果たす。そして8月6日、ホームでのニューヨーク・ヤンキース戦で初めてメジャーのマウンドに立った。この時点で29歳、マイナーでの通算登板数は294試合にも上っていた〔。初めての対戦打者はアレックス・ロドリゲスで、見逃し三振に打ち取った〔。この年は最初の4試合で6.1回を無失点に抑えるなど力投していたが、その後の3登板で10失点(自責点9)を喫するなど、シーズンでは防御率10.13に終わった。
シーズン終了後の10月16日にフリーエージェントになり、その後ワシントン・ナショナルズとマイナー契約を交わす〔『月刊スラッガー』2007年2月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、74頁。〕。迎えた2007年5月8日にメジャーのマウンドに初めて立ち、最初の11試合に投げた時点では防御率2.31を記録していたが、5月の終盤から6月にかけて調子を崩し、マイナーへと降格。その後、ロースターの拡大に伴って9月にメジャーに復帰し、7試合に登板。シーズンでは前年を大幅に上回る26試合に登板した。また、この年はトリプルAでも37試合で防御率1.20、WHIP0.84と好投した。
10月11日、フリーエージェントとなり、来日することになる。
、推定年俸4600万円の1年契約で千葉ロッテマリーンズでプレーすることが決定。千葉マリンスタジアムでの登板時テーマ曲はジェロの「海雪」であった。シーズン序盤こそ一軍に定着し中継ぎである程度活躍したものの、5月に右肘痛により戦線離脱。6月6日に右肘の手術を受けると〔、それ以降は一軍、二軍ともにマウンドにあがることができず、不本意な結果となってしまった。その後、12月2日自由契約公示された。
2月6日タンパベイ・レイズにマイナー契約で入団し、6月14日コロラド・ロッキーズ戦でおよそ2年ぶりにメジャーのマウンドに立つが、レイズでは2試合に投げただけで7月2日クリーブランド・インディアンスにトレードされる。ところがインディアンスでも3試合に投げただけで8月1日に解雇され、その5日後の8月6日(前の契約から半年後)にレイズと契約。思わぬ形で古巣に復帰することになった。結局その後メジャーで投げる機会はなく、シーズンでは5試合登板に終わったが、AAA級では37試合で防御率1.94、WHIP0.77など安定した働きを見せていたこともあり、シーズン終了後にレイズと契約を延長した。
はAAA級でこそ51試合で防御率2.28、WHIP1.01を記録するなど2年続けて結果を残したものの、メジャーでの登板機会には恵まれず、シーズン終了後にフリーエージェントとなった。その後、11月29日トロント・ブルージェイズとマイナー契約を結ぶ
、ブルージェイズのスプリング・トレーニングに参加〔http://toronto.bluejays.mlb.com/news/press_releases/press_release.jsp?ymd=20101221&content_id=16353168&vkey=pr_tor&fext=.jsp&c_id=tor 2010年12月21日〕。メジャーに昇格することはなく、AAA級ラスベガス・フィフティワンズでプレーした。
メキシカンリーグメキシコシティ・レッドデビルズでプレー。
、メキシカンリーグのシウダーデルカルメン・ドルフィンズベラクルス・レッドイーグルスでプレーしていたが、5月7日アトランティックリーグブリッジポート・ブルーフィッシュと契約した〔'FISH ADD FORMER BIG LEAGUE ARM bridgeportbluefish.com 2013年5月7日配信〕

もブルーフィッシュでプレー。
アメリカン・アソシエーションジョプリン・ブレイスターズと契約。12月23日にメキシカンリーグオアハカ・ウォーリアーズと契約。オフはドミニカ共和国のウィンターリーグでプレー。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウィンストン・アブレイユ」の詳細全文を読む




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