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ウィルモット条項 : ミニ英和和英辞書
ウィルモット条項[うぃるもっとじょうこう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

条項 : [じょうこう]
 【名詞】 1. clause 2. article 3. stipulations 

ウィルモット条項 : ウィキペディア日本語版
ウィルモット条項[うぃるもっとじょうこう]

ウィルモット条項(ウィルモットじょうこう、)は、19世紀半ば、米墨戦争の結果としてのメキシコ割譲地として知られた地域を含み、将来的にメキシコから獲得した領土では奴隷制を禁じるという法案だったが、成立しなかったものである。賛成者の中にはリオ・グランデ川の東にあるテキサス南部やニューメキシコの論争の起こっていた所までもその範囲に含むと解釈するものもいた。
アメリカ合衆国下院議員デイビッド・ウィルモットが1846年8月8日にこの法案を下院に提出したが、これは米墨戦争の問題を解決する最終交渉を行うために200万ドルを宛てる予算案に付随するものという形を取った。この法案は下院を通過したが、南部州の代議員数が多かった上院では否決された。1847年2月にも再提案されたが、全く同じように下院で通り、上院で否決された。1848年この条項をグアダルーペ・イダルゴ条約の一節に加えようとしたが、これも失敗した。アメリカ合衆国南西部における奴隷制に関する党派抗争が続いたが、1850年の妥協でひとまずの決着を見た。奴隷州と自由州で国内を2つの勢力に割るような形になったために、南北戦争の主要原因の一つに挙げられている。
== 背景 ==
以前から続いていた条約によってテキサスを獲得しようという試みは、アメリカ合衆国上院における3分の2ルールを克服できず失敗していた。アメリカ合衆国は議会における各院で過半数の賛成を得ればよい上下院合同決議案という形を選び、テキサス共和国併合した。ジョン・タイラー大統領は1845年3月1日にこの法案に署名し、その大統領任期を終えた。多くの者が予測していたように、この併合は米墨戦争に繋がった。戦争の先行きが見えてきたとき、政治の論点はメキシコからどの領土を獲得するかということに移ってきた。ここで問題になったのが、新しい領土で奴隷制の問題をどう扱うかを決めることだった。
二大政党は、敵対関係を生じさせるような奴隷制問題を国政の場からずっと外すようにしてきた。民主党は一般に、この問題を伝統的な政治の通常範囲を越えたものとして、急進論を純粋に派閥的問題に押し込んでしまうことに成功してきた〔Silbey pg. 123〕。しかし、ジェームズ・ポーク大統領(民主党)政権の半ばになるまでに、他の問題に関するマーティン・ヴァン・ビューレンやバーンバーナーと呼ばれた民主党内急進派閥の中に政権に対する不満が成長していた。多くの者は1844年の大統領候補指名の時に、南部の代議員が1832年まで使われていた指名候補者は代議員総数の3分の2以上の票を獲得しなければならないという規則を復活させたことで、ヴァン・ビューレンが不当に指名されなかったと感じていた。北部の多くの者も関税率を下げたウォーカー関税に動揺しており、ある者はポークが使用頻度の高い河川や港湾の改良法案に拒否権を使ったことに反対し、またある者はオレゴンに関するイギリスとの領土問題で、ポーク大統領がテキサスを獲得した時と同じくらい活発に北側の領土を追求しなかったように見えたことで動揺していた。ポークは次第に南部の利益に繋がるようにするために党への厳しい忠誠を強制するようになったと見られていた〔Morrison p.42. Johannsen pg. 202. Potter pg. 22-29〕。
ホイッグ党はまた違ったシナリオに直面した。1844年の大統領選挙で民主党のポークがホイッグ党のヘンリー・クレイを破ったことは南部のホイッグ党員を驚かせた。この敗北は1845年と1846年に南部で行われた連邦議会と地方議会の選挙にまでも影響を与えたが、その主要因はテキサス併合に関してホイッグ党が強い賛成の立場を取らなかったことだった。南部ホイッグ党はテキサスでの誤りを繰り返したくはなかったが、同時にホイッグ党内南北両派共に米墨戦争での勝利と領土獲得が奴隷制と領土の問題を再度持ち出してくることを認識していた。特に南部では、第二政党制を定義していた昔からの経済問題がもはや死んでいることを認識するか、あるいは恐れていた。その政治目標は党内を派閥で分裂させる可能性のある奴隷制に関する論争を避けることだった〔 Cooper pg. 225-229.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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