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ウィキペディアの批判 : ミニ英和和英辞書
ウィキペディアの批判[ばん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

批判 : [ひはん]
  1. (n,vs) criticism 2. judgement 3. judgment 4. comment 
: [ばん]
 (n,n-suf) size (of paper or books)

ウィキペディアの批判 ( リダイレクト:ウィキペディアへの批判 ) : ウィキペディア日本語版
ウィキペディアへの批判[うぃきぺでぃあへのひはん]

ボランティアによって書かれたフリーコンテントプロジェクトであるウィキペディアは、その規模と知名度の増大に伴い、多くの批判もなされてきた。よく言われるものには、その開放性のために内容に権威がなく信頼性が低いことを指摘するもの、固有の系統的偏向性があるというもの、集団の力学が目標の達成を妨げているというものなどがある。また具体的なものでは、明らかな、あるいはわかりづらい荒らし行為の存在、頑固な執筆者による記事の支配、議論のある話題についての不正確な若しくは存在しない情報源による執筆、編集合戦などの、執筆者間の非建設的な衝突などに対する批判がある。
ウィキペディアのコンテントに対する個々の際立った議論は、広くメディアの非好意的な注目を集めてきた。批判者たちは、ジョン・シーゲンソーラー ウィキペディア経歴論争Essjay騒動などの事件を例に、ウィキペディアの文献としての信頼性・有用性に疑問を投げかけた。また、ウィキペディアはパロディーやユーモラスな批判の対象ともなっている。
== コンセプトに対する批判 ==

=== ウィキという形態 ===
ウィキペディアは、“誰にでも編集できる”〔但しスティーブン・J・ボーハンニコルズは、管理者たちによってしばしば発動される“半保護”、また英語版では「半保護」表示さえもされないゆえに、ウィキペディアの実態はログインユーザのためのグループウェアに過ぎないと喝破した。『Wikiは時間の無駄だ』を参照。〕というその性質、即ちウィキであるために、賞賛され、また批判もされた。司書学者、他の百科事典の編纂者などの中には、資料としての有用性が非常に低いとの批判もあった〔。多くの大学講師たちは、学術的な論文の中ではどんな百科事典も引用してはならず、一次情報源を使うよう勧めている。ある大学のプログラムといくつかの学校においては、名指しでウィキペディアの引用が禁止されたこともあった〔ウィキペディア頼み、誤答続々 米大学が試験で引用禁止 2007年02月23日付asahi.com 2016年4月2日閲覧〕。また、検索エンジンの最上位に常に上がる故、不正に企業のPRの場として悪用する例、いわゆるステルスマーケティングに利用する業者は後を絶たない〔。
ウィキペディアの方針によれば、記事中の主張は、信頼できる出版された情報源によって支持されるべきであり、さらに理想的には査読されたものであるべきであるとしている。
*現在ウィキペディアの事実上の指導者である〔 〕ジミー・ウェールズは、どんな百科事典も元来一次情報源としては不適切で、権威として信頼されるべきものではないと強調している〔Wikipedia: "A Work in Progress" , ビジネスウィーク (2005年12月14日). 2007年1月29日閲覧。〕。
*ウェールズが2001年にウィキペディアを立ち上げた際に共同運営者だったラリー・サンガーは、翌年、プロジェクトから手を引いた。のち2007年に「Citizendium」を興したが、これはウィキペディアに“専門的知識を能動的に軽視する「反エリート主義」の哲学がある”ためだとしている〔ラリー・サンガー, "Why Wikipedia Must Jettison Its Anti-Elitism ", Kuro5hin, 2004年12月31日。〕。
*ニコラス・G・カーは、ウィキペディアのような、ボランティアによるWeb 2.0的プロジェクトを、「経済的に不利な立場におかれるプロフェッショナルの仕事を駆逐し、最終的に社会に害をもたらす」と批判している〔The Amorality of Web 2.0 October 2005〕。
*インディアナ大学ブルーミントン校における2005年の研究では、ウィリアム・エミーとスーザン・C・ヘリングはウィキペディアに対する正式な研究がそれほど多くはないことを示し、ウィキペディアが社会的手段—すなわち、参加者たちの中核をなす人々に問題がないかを監視する自己規範と、より幅広い文化から書かれることによる百科事典的な本文への期待—によってそれらの結果を達成すべきであるとした〔Emigh & Herring (2005) "Collaborative Authoring on the Web:
A Genre Analysis of Online Encyclopedias", Proceedings of the Thirty-Eighth Hawai'i International Conference on System Sciences. (PDF )〕。
*オリバー・カムは、ウィキペディアの内容を決定する過程でなされる合意形成の信頼性に懐疑的な考えを述べた―「ウィキペディアは真実ではなく、合意(コンセンサス。関係するウィキペディアン全員から記述内容について賛同を取り付ける事)を求めている。果てのない政治談話のように、残るのは最も大きくしつこい声だ (''end result will be dominated by loudest and most persistent voices'')」と〔Wisdom? More like dumbness of the crowds | Oliver Kamm - Times Online 〕(→Wikipedia:合意形成Wikipedia:論争の解決ウィキアリティ)。
*医師で管理者のひとりは、英語版ウィキペディア超越瞑想の記事の真偽を巡る争いに巻き込まれ、「自分自身の真実、伝統的な科学の方法に沿った真実」のために数年間戦った。一般の編集者の興味を引くような問題ではなかったため、ハイルマンは論争を解決するための2度の一般投票でも超越瞑想陣営に負け、さらに上の権威であるにこの問題を2度持ち込んだが、ここでは問題の真偽の判断はできず、その人のふるまい、礼儀正しさだけが問われたため、どうにもならなかった。最終的には、超越瞑想のページの姿勢に不快感を抱きながらも、超越瞑想陣営の執筆者たちに根負けし、降参した。彼は、「果てしなく我慢すれば、どの知識が世界に提示されるかを一つの集団が変えることは実質的に可能です」と述べている。〔またハイルマンは、経皮的椎体形成術(経皮的後弯矯正術。英:Percutaneous vertebroplasty、Kyphoplasty)の記事の編集の際に、医療機器販売会社のメドトロニック社に所属している執筆者の干渉を受け、この会社に有利になるような記述を却下して以降、ノートではハイルマンに対して「差別的」などの批判が書き込まれるようになった。この批判を行っていた人物もメドトロニック社に所属していることが確認された。ハイルマンは、この記事の件でアメリカ人放射線医師のダグラス・ビーオールからある論文を読むことを勧められ、当初それは善意のアドバイスに思われたが、ビーオールは2005年以降メドトロニック社に関わり、少なくとも同社から15万ドル(約1500万円)を受け取っていた。彼は、やグラクソ・スミスクライン、などの企業からコンタクトを受けたことがあるが、中でもメドトロニック社による積極的なウィキペディア書き換えの行為は最悪のケースだったと述べている。ハイルマンによると、2008年から2013年にかけて医療関連の記事の編集者の数は40%も減少してしており、人手不足の中でのステルスマーケティングの対応で、編集者のコミュニティはより大切な仕事に時間を割けなくなっているという。
*ハイルマンと超越瞑想の戦いを取材したカナダのジャーナリストのは、ウィキペディアの真のウィークポイントは、強みであるところの「民主的な衝動」にあり、「みんな版」の事実が一律に正しく、専門家の見解が押しやられるようなシステムでは、企業や政治的利害が主導権を握りかねないと指摘している。ウィキペディアの知的生産は常にどこかの強い党派性の影響を受けており、「この巨大な三次資料が、知的生産で恥ずかしげもなく利用されるようになるとき、私たちが心配しなければならないのは、ひどいでっちあげでも、悪意のない間違いでもない。世俗的な破壊の問題でもない。(中略)心配しなければならないのは、ジェームズ・ハイルマンのような一個人の努力よりも長生きする勢力の利害なのだ。(中略)私たちの集団的な、組み込まれた偏りは、将来の世代に、人間の理解に対して、どんなに捉えがたい、気づきにくい変更〔出典ママであるが、おそらく「偏向」の誤変換。〕をもたらすだろう。」と懸念を示している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウィキペディアへの批判」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Criticism of Wikipedia 」があります。




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