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インド・スキタイ ( リダイレクト:インド・スキタイ王国 ) : ウィキペディア日本語版
インド・スキタイ王国[いんど すきたいおうこく]

インド・スキタイ王国(インド・スキタイおうこく、英語:Indo-Scythian Kingdom)は、紀元前1世紀の西北インドに興ったスキタイ系のサカ人による諸王朝。インド・スキタイ朝インド・サカ王朝サカ王朝サカ王国ともいう。インド・グリーク朝の文化を受け継ぎ、多くのコインを残した。
==歴史==

===遊牧民の大移動と建国===
紀元前2世紀モンゴル高原の覇者となった匈奴西域攻略を開始すべく、手始めとして敦煌付近にいた月氏を駆逐した。月氏はイシク湖周辺にまで逃れ、もともとそこにいた塞族(サカ人)を追い出してその地に居座った。追い出された塞族は縣度(パミール高原ヒンドゥークシュ山脈)を越えてガンダーラ地方に罽賓国を建てたり、途中のパミール山中に休循国や捐毒国を建てたりした〔『漢書』西域伝〕。これらの国々がインド・スキタイ王国なのかは不明だが、紀元前85年頃には北方遊牧民(広義のスキタイ:サカ)が西北インドに侵入し、インド・グリーク朝を滅ぼして自らの王国を築いた。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「インド・スキタイ王国」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Indo-Scythians 」があります。




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