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イデオロジー : ミニ英和和英辞書
イデオロジー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

イデオロジー ( リダイレクト:観念学 ) : ウィキペディア日本語版
観念学[かんねんがく]

観念学(idèologie, イデオロジー)は、フランス18世紀後半から19世紀前半にかけて主導的だった哲学思潮を指す。ジョン・ロックイギリス経験論の流れを汲むフランスの哲学者エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤックの分析論と理想言語論(記号論)はフランス自然科学(化学、生物学、生理学など)の分野で応用され大きな成果をあげた。人間の観念(思惟・感覚・意思など)領域に対してものコンディヤックの思想、方法論を適用することで人間を学的に理解することをもって人間の幸福実現をめざしたフランス革命前後の思想・哲学潮流が「観念学(イデオロジー)」である。
「観念学(イデオロジー)」という言葉は、1798年にデステュット・ド・トラシーが提唱し自ら1801年より「観念学原論」の刊行を始めたことによって定着していった〔1.pp.220-221.
2.より正確には、1801年に発表された『仏共和国のエコール・サントラルのための観念学原論の計画』を1803年から刊行され始めた『観念学原論』の第一巻とした。同書、p.243(註4) (以下、『哲学史を読むII』と略す)〕。
唯物論と対立する意味での「観念論」や、日本では主に「主義」として捉えられているドイツ語由来の「イデオロギー」と混同されやすいが別である。
== 概要 ==

コンディヤック1714年 - 1780年)の哲学、中でも分析理論(方法論)と言語(数学を理想言語とする記号言語論)は、下の世代の自然科学・医学者(ラグランジュ(1736年 - 1813年)、ラヴォワジェ(1743年 - 1794年)、ラマルク(1744年 - 1829年)、ラプラス(1749年 - 1827年)、ピネル(1745年 - 1826年)、アンペール(1775年 - 1836年)、ビシャ(1771年 - 1803年)など)に著しい影響を与え、彼らの業績を導いたといっても過言ではない〔「ラヴォワジェの著作にはコンディヤックの影響が色濃く見られ、ラマルクはその著作の冒頭に、分析の方法への賛辞を書き記」した。「(
*コンディヤック)のこの分析の方法によってのみ、あらゆる学問が真の進歩を遂げ、この学に関わる諸対象が混乱なく完全に認識されうる(ラマルク『動物哲学緒論』)」(略)「この方法は化学的現象に向けられればラボワジェの成果に結実し、生命現象に向けられときには、ビシャの組織分類に結実する。( 以下『哲学の歴史6』と略す)〕。
コンディヤックの「分析」とは、要素還元的な「分解」とその「再構成」によって現象や対象を理解するというものである。
化学・生物学・医学で成果をあげているコンディヤックの分析的方法を、他の学問(政治学や経済学など)にも適用する機運が生まれていく。
このような期待のもと、『観念学』はこの時代の主導的思想としての広がっていく。同時代のスタンダールが自著『恋愛論』で「私はこのエッセイをイデオロジーの書とよんだ。」〔スタンダール『恋愛論』訳:生島遼一,鈴木昭一郎、人文書院、1972年。14頁.(『哲学の歴史6』p.575より孫引き。太字は引用者)〕と書くほどフランスの知的階級に観念学は浸透していった。
それはイデオロジスト(idéologiste)たちと政治的に敵対したナポレオンが彼らを<空論ばかりいう奴ら>と侮蔑的ニュアンスを込めて「イデオローグ(idéologues)」と呼び捨てるほど世間的にも認知されていた。
哲学史的には、観念学派から出発しやがてフランス・スピリチュアリスムの源流となる思索(ビラニスム)へと展開していったメーヌ・ド・ビランに一定の照明があてられるものの、先行者としての観念学派とその後継者たちは、19世紀のドイツ語圏思想(フォイエルバッハマルクスフロイトニーチェなど)の陰に隠れた形でフランス本国も含め注目されていなかったが、ミシェル・フーコーが観念学派のビシャ、デステュット、観念学それ自体も『言葉と物』で取り上げたこと〔『言葉と物』第7章 五「観念学と批判哲学」および固有名詞索引"デステュット・ド・トラシ""ビシャ"並びに"コンディヤック"。ほか、観念学と直接名指ししなくても「人文諸科学」として多数の箇所で論じている中にはかなり観念学派が含有されている。(原著:1966)〕で観念学への関心・見直しの機運が惹起され、1990年代には観念学派を含む18世紀フランス哲学の復刊が始まり、再評価、再検討が行われている〔合田正人「19世紀フランス哲学」2008年(PDF)。33-39頁 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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