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イディス・ヘッド : ミニ英和和英辞書
イディス・ヘッド
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


イディス・ヘッド ( リダイレクト:イーディス・ヘッド ) : ウィキペディア日本語版
イーディス・ヘッド

イーディス・ヘッドEdith Head, 本名: Edith Claire Posener, 1897年10月28日 - 1981年10月24日)は、アメリカで活躍した映画衣裳デザイナーカリフォルニア州サンバーナーディーノ出身。
1920年代当時、映画全盛期のハリウッド映画において、女優の衣裳はきらびやかに飾り立てた華美なもの、という考えが主流であった。しかし彼女は、映画衣裳の世界に初めてシンプルな美しさとファッションセンスを持ち込んだ。1981年に死去するまで58年間にわたりハリウッドの衣裳デザインの第一人者であり続けた。
== 経歴・エピソード ==
教師をしていたが、パラマウントの映画衣裳デザイナーの募集を知り退職する。ファッションデザインの経験がないのに、彼女は友人が描いてくれたデザイン画を持って面接へ行き、ようやくパラマウントの衣裳部門に勤めることができるようになる。
駆け出しの頃は、セシル・B・デミル制作の映画作品での衣裳の仕事が多く、当時は「アイデアに困ると、何でも金ピカにしたり鳥の羽を付けるとデミルは喜んだ」という。
大ヒット映画、『ローマの休日』(1953年)のアン王女役の衣裳や、『麗しのサブリナ』(1954年)のサブリナ役の衣裳などは、主演のオードリー・ヘプバーンの可憐さを際立たせ、彼女の女優としてのイメージを決定付けることとなった(サブリナがパリから帰国するシーンから後半はジバンシーが担当)。
アルフレッド・ヒッチコック監督はイーディスのデザインセンスを大いに気に入り、『裏窓』(1954)以降ほとんどの映画作品の衣裳を任せた。クール・ビューティな女優グレース・ケリーのセクシーな魅力を余すところなく引き出すために、彼女はこの仕事に全精力を傾けたという。彼女は、デザイナーとして自分の理想的女優であったグレースを生涯気に入った。
グレースとモナコ公国の大公レーニエ3世との結婚の際には、ウェディングドレスをデザインすることを望んだが、自らがグレースが所属したメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)の所属ではなかったためとりあえずあきらめ、それでも「費用はこちら持ちでいいから、せめて外出着をデザインさせてほしい」と衣裳のデザインを熱望、その希望は叶えられた。グレースが大公とハネムーンに出かける際に、イーディスのデザインしたスーツと長手袋を身に着けているのをニュース映像で見たとき、彼女は喜びの涙にくれたという。
女優のエリザベス・テイラーは、自分のスタイルにずっとコンプレックスを持っていたが、イーディスがデザインしたドレスで、初めてそれを忘れられたとイーディスに感謝した。女優のスタイルの弱点を見事にフォローする手腕が映画界で広く知られるようになり、当時の人気女優らは映画出演の契約の際にイーディスが衣裳担当であることを知るや、是非に「撮影終了後にイーディスがデザインした衣裳をもらえること」を契約条件に加える者も多かった。
後年、映画という媒体を通して自分のデザインが一般の女性に流行として取り入れられていくようになると、「私は流行を作り出したいのではない。ただ、女優たちの美しさを引き出したいだけ」と語った。自分が古いタイプのデザイナーであることも自覚しており、1960年代に大流行したミニスカートが気に入らなかった。ただ一度、脚線の美しい女優ナタリー・ウッドのために短いスカートの衣裳をデザインする。それが最初で最後である。
女優の衣裳だけではなく、『明日に向かって撃て!』(1969年)、『スティング』(1973年)、『華麗なるヒコーキ野郎』(1975年)では映画の中の男達に粋なファッションを身にまとわせ、アメリカの古き良き時代のダンディーを表現した。
アカデミー衣裳デザイン賞を8回受賞、ノミネートは35回に及んだ大物スタッフであったが、テレビ映画の『刑事コロンボ』でアン・バクスターがゲスト出演した『偶像のレクイエム』(1973年)に少しだけ顔を出している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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