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アーメード・サラ : ミニ英和和英辞書
アーメード・サラ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アーメード・サラ ( リダイレクト:アーメド・サラ ) : ウィキペディア日本語版
アーメド・サラ[ちょうおん]

アーメド・サラ(Hussein Ahmed Salah、1956年12月31日 - )は、ジブチの男子マラソン選手である。
== プロフィール ==

* ジブチ・アリ・サビエ州アリ・サビエ出身。
* 1980年代〜1990年代に活躍したアフリカを代表する男子マラソン選手のひとりであり、当時日本男子マラソン陣の最大のライバルのひとりであった。
* レース中盤から後半にかけて自らスパートして独走、そのまま逃げ切って優勝するのが彼の得意なレーススタイルであったが、その後レース終盤に大きくペースダウンして、一旦引き離した選手に追いつかれ逆転されてしまい、優勝を逃すケースも多かった。
* 当時日本の第1人者であった中山竹通()とは、同じ長身でスピードのある世界的強豪選手としてともに認知され、長らくライバル関係であり、中山とは6戦3勝(片方が棄権したレースも含める)であるが、1985年の広島で開催されたワールドカップマラソンでは今も語り継がれる名勝負を演じ競り勝ち優勝し、1988年ソウルオリンピックでも中山に僅差で先着し銅メダル、1991年東京世界陸上も中山の棄権を尻目に銀メダルを獲得するなど、サラが中山に勝ったマラソンではサラは好成績を収める事が多かった。しかし、サラと同じアフリカ勢のダグラス・ワキウリ()相手には極端に相性が悪く、1987年ローマ世界陸上、1988年ソウルオリンピック、1989年ロンドンマラソンとともに後塵を拝する結果となった(唯一1992年バルセロナオリンピックでサラはワキウリにかろうじて先着している)。瀬古利彦()には1988年ソウルオリンピックで初めて先着したが、1984年ロサンゼルスオリンピックや1986年シカゴマラソンでは瀬古に後塵を拝している。谷口浩美()相手では、1987年東京国際マラソンでサラの棄権、1990年ロッテルダムマラソン、1991年東京世界陸上、1992年バルセロナオリンピック、1996年アトランタオリンピックで全て谷口がサラに先着するなど、谷口相手ではワキウリ以上に相性が悪かった。
* 1991年東京世界陸上以後は精細を欠くレースが続くが、40歳目前の1996年ランスマラソンで2時間10分台を記録したり、40代になってもウィーンマラソンエンスヘデマラソンで優勝するなど、意外と息の長い選手生活であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アーメド・サラ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hussein Ahmed Salah 」があります。




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