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アンナ=テレサ・ティミエニエツカ : ミニ英和和英辞書
アンナ=テレサ・ティミエニエツカ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アンナ=テレサ・ティミエニエツカ : ウィキペディア日本語版
アンナ=テレサ・ティミエニエツカ

アンナ=テレサ・ティミエニエツカ(Anna-Teresa Tymieniecka, 1923年2月28日 - 2014年6月7日)は、ポーランド出身でアメリカ合衆国で活動した哲学者現象学者。世界現象学研究所(World Phenomenology Institute)の創立者にして会長、『アナレクタ・フッセリアーナ(Analecta Husserliana)』の編集委員(1960年代後半の創刊時から)。教皇ヨハネ・パウロ2世と30年に渡る友情を育んだ(学術的に協働することもあった)。
== 略歴 ==

=== 学歴・教歴 ===
アンナ=テレサ・ティミエニエツカはポーランド系フランス人貴族階級の家に生まれた。哲学を知ったきっかけは、ルヴフ=ワルシャワ学派の創始者カジミェシュ・トヴァルドフスキの代表作『表象の内容と対象について(Zur Lehre vom Inhalt und Gegenstand der Vorstellungen)』のほか、プラトンベルクソンの著作を若くして読んだことであった。プラトンとベルクソンの哲学については、母のマリア=ルドヴィカ・ド・ランヴァル・ティミエニエツカから手ほどきをうけた。
第二次世界大戦の終戦後、クラクフヤギェウォ大学にて、ローマン・インガルデンの指導のもとで哲学を体系的に勉強し始めた。インガルデンは、カジミェシュ・トヴァルドフスキエトムント・フッサールの弟子である。同時に、ティミエニエツカはクラクフ美術アカデミーにも通った。
わずか2年で大学の正規課程をすべて修了した後、スイスフリブール大学に進学し、著名なポーランド人哲学者・論理学者のヨゼフ・マリア・ボヘンスキーのもとで研究を続けた。博士論文のテーマは、ニコライ・ハルトマンとローマン・インガルデンの哲学における現象学的基盤を解明することであり、のちに『本質と実存(Essence and Existence)』(1957年)というタイトルで出版された。二つ目の博士号はフランス哲学・文学に関するもので、1951年にソルボンヌ大学で取得した。
1952年から1953年にかけて、ベルギーブルッヘにある欧州大学院大学で社会科学・政治学のポスドク研究を行った。このときから、ティミエニエツカは完全にフッサール的でもインガルデン的でもない、独自の現象学的態度を備えた哲学を構築し始めた。
1956年、ヘンドリック・ハウタッカーと結婚した。ハウタッカーは、スタンフォード大学経済学教授(1954-1960年)、ハーバード大学経済学教授(1960年から)、ニクソン大統領経済諮問委員会メンバー(1969-1971年)を務めた人物である。
1979年、前年にヨハネ・パウロ2世としてローマ教皇に就任していたカロル・ヴォイティワと協働し、ヴォイティワの著作『人格と行為(Osoba i czyn)』の英訳を行った。『人格と行為』は、ヴォイティワの最初期の作品の一つであり、もともとポーランド語で執筆され、その後フランス語イタリア語ドイツ語スペイン語英語、その他の言語に翻訳された。しかし、ティミエニエツカの英訳は強い批判を浴びることになった。批判者によれば、ティミエニエツカは「ポーランド語で書かれた原著を改変し、専門用語を混乱させ、テクストを訳者自身の哲学的関心に合わせてねじ曲げた」という。ヨハネ・パウロ2世も、この翻訳には納得しなかったと言われている。さらに、英訳はポーランド語で書かれた原著より早く出版されており、著者が望んだ最終稿ではなく、古い原稿が翻訳の底本に使われていた〔''Witness to Hope – The Biography of Pope John Paul II'' by George Wiegel, 2001, page 174〕。批判者の示唆するところによれば、ティミエニエツカがつけた英語版タイトルの『The Acting Person』がすでに問題含みである。というのも、原著のタイトルは、主観的意識(人格)と客観的現実(行為)間の緊張関係という、同書と著者が意図していたメッセージの中核を伝えるために採用されたものだからである。多くの反対者に抗して、ティミエニエツカは2001年に自分の手がけた翻訳こそが『人格と行為』の英訳「決定版」だと主張した〔''Witness to Hope – The Biography of Pope John Paul II'' by George Wiegel, 2001, page 175〕。
ティミエニエツカはオレゴン州立大学数学助教授(1955-1956年)、ペンシルベニア州立大学助教授(1957年から)を務めたほか、1961年から1966年までラドクリフ大学独立研究所に所属し、1972年から1973年までセント・ジョーンズ大学哲学教授を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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