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アントワーヌ・バラール : ミニ英和和英辞書
アントワーヌ・バラール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アントワーヌ・バラール : ウィキペディア日本語版
アントワーヌ・バラール[ちょうおん]

アントワーヌ・ジェローム・バラール(Antoine Jerone Balard, 1802年9月30日 - 1876年3月30日)はフランス化学者。専門は臭素の諸性質、塩素の諸性質。
== 生涯 ==
1802年9月30日にフランスモンペリエに生まれる。パリの薬学の学校に進学し、以後、薬剤師としてスタートした。しかし彼は故郷の町に戻り、地元で化学アシスタントとして勤めた。アシスタントと同時にロイヤル・カレッジや薬学校の教授にも就任した。1826年、郷里のかん水について研究中に暗赤色で悪臭のある液体を発見。臭素の発見だった。同年にドイツでもカール・レーヴィヒが独自にこれを発見していたが、バラールは先んじて"Muride"の名で発表した。この研究成果により彼の評判は上がり、1842年にソルボンヌ大学教授となり1851年にはコレージュ・ド・フランスの教授となった。バラールはそのほかにも次亜塩素酸一酸化塩素の発見もしている。1830年ロイヤル・メダル受賞。
1876年パリで死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アントワーヌ・バラール」の詳細全文を読む




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