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アンセット・オーストラリア航空 : ミニ英和和英辞書
アンセット・オーストラリア航空[あんせっとおーすとらりあこうくう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
航空 : [こうくう]
 【名詞】 1. aviation 2. flying 
: [そら]
 【名詞】 1. sky 2. the heavens 

アンセット・オーストラリア航空 : ウィキペディア日本語版
アンセット・オーストラリア航空[あんせっとおーすとらりあこうくう]

アンセット・オーストラリア航空 (Ansett Australia または Ansett) は、オーストラリアの主要な国内・国際航空会社であったが、2001年に倒産後2002年3月に営業を停止、2011年清算結了した。1999年から倒産するまで、スターアライアンスに加盟していた。
== 概要 ==
1935年に飛行家で事業家のレジナルド・マイルズ・アンセット (Reginald Miles Ansett) により、アンセット航空 (Ansett Airways Pty Ltd) として創業された。1937年に上場されたが、第二次世界大戦中はアメリカ陸軍航空隊に貸し切られていた。戦後、多数の航空会社を併合し、20世紀の後半、特に1980年代には最も繁栄した。しかし同社の出資事業は投資を回収できなかった。
1999年4月1日にはスターアライアンスに加盟し、8番目の加盟会社となった。
2000年2月、同社を50パーセント保有していたニュージーランド航空ニューズ・コーポレーションの出資分を引き取り完全子会社とした。カンタス航空との競争、格安航空会社からの挑戦、ボーイング767型機の整備不良による運航見合わせは運転資金を不足させ、さらに機体の高齢化がのしかかった。またシドニーオリンピックの公式スポンサー権を取得したが、賢明でない投資と周囲からは見られた。アンセットは親会社であるニュージーランド航空の資金を食いつぶすようになり、ニュージーランド航空自体がニュージーランド政府の救済を受ける事態となった。
2001年5月13日、アンセット・グループは管財人の運営下 (voluntary administration) に入った。2001年9月14日早朝、管財人の決断によりアンセットは再建不能と判断され、航空機は子会社のものも含め運航を停止した。あまりに突然の運航停止・カウンター閉鎖のため、あらかじめ国際線のチケットを購入していた多くの人々に被害が及んだ。
連邦政府の債務保証を受け、2001年10月1日、オーストラリアの主要都市間の運航が再開された。これは「アンセット・マークII」と呼ばれたが、結局2002年3月4日、すべての運航は最終的に終了した。その後会社清算を行い、2011年8月11日に元従業員たちへの最後の分配を終え、破産処理を結了した
なお、同社は1994年から2001年までシドニーシドニー キングスフォード・スミス 国際空港)→大阪関西国際空港)→ブリスベンブリスベン空港)→シドニー間(運航ルートは環状である)の日本路線を運航していた。機材は当初ボーイング747-300であったが、1999年夏頃からはボーイング747-400に入れ替わっており、共にシンガポール航空からリースされていた機材であった。また、ボーイング747-400にはパーソナルモニターが据え付けられていた。
1999年3月に全日本空輸が自社で運航するオーストラリア便(アンセットと同じく、大阪→ブリスベン→シドニー→大阪間)を廃止したことに伴い、それ以降からアンセットの倒産までは全日空とのコードシェアとなり、アンセットの機材で共同運航していた。だが、アンセットの倒産によって同社の国際線が消滅した影響で、全日空もオーストラリアへの路線を失うこととなった。その際に自社路線を再開することもなく2002年にはオーストラリア支店を閉鎖した。シドニーにあったANAハーバーグランドホテルも売却され、現在のシャングリラホテル・シドニーとなった。なお、全日空のオーストラリア路線は2015年12月から羽田-シドニー間で運行を再開した。オーストラリア内の提携航空会社はヴァージン・オーストラリアに変更された。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンセット・オーストラリア航空」の詳細全文を読む




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