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アレクサンドラ・リプリー : ミニ英和和英辞書
アレクサンドラ・リプリー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アレクサンドラ・リプリー : ウィキペディア日本語版
アレクサンドラ・リプリー[ちょうおん]
アレクサンドラ・リプリーAlexandra Ripley1934年1月8日2004年1月10日)は、アメリカ小説家サウス・カロライナ州チャールストン出身。マーガレット・ミッチェルの小説『風と共に去りぬ』の続編『スカーレット』の著者として、有名になった。

== 略歴 ==
アレクサンドラ・リプリーは、1934年、米サウス・カロライナ州チャールストンに生まれた。スコットランド系の血筋である〔大平和登 「【ニューヨーク・オン・ライン】 その後の『スカーレット』を求めて -『続・風と共に去りぬ』の作者 アレキサンドラ・リプリー女史に聞く- 」 『』 1992年5月号、潮出版社、p.278. 表題“アレサンドラ”は原文のまま。今でも親戚がエディンバラ周辺にたくさんいるという。〕。若い時には、ニューヨークで『ライフ』誌の仕事を、ワシントンではエール・フランスで仕事をし、やがて、レナード・リプリー(Leonard Ripley)と結婚、2人の娘が生まれた。レナードと離婚後、しばらくして、バージニア大学教授(修辞学)であったジョン・グレアム(John Graham)と再婚、バージニア州シャーロッツヴィルで暮らした〔仙名紀 「戻る? 戻らぬ? スカーレットとレットのより – “続 『風と共に去りぬ』” が描く本当の結末- 」 『月刊 Asahi』1991年12月号、朝日新聞社、p.129. なお、「より」の部分は、原文では傍点が付されている。〕。
1981年に出版された小説『チャールストン(Charleston)』が、彼女の出世作になった〔石川幸代 「話題騒然! 『風と共に去りぬ』 続編の読み所」 『プレジデント』1991年11月号、プレジデント社、p.439.〕〔大平和登 「【ニューヨーク・オン・ライン】 その後の『スカーレット』を求めて -『続・風と共に去りぬ』の作者 アレキサンドラ・リプリー女史に聞く- 」 『』 1992年5月号、潮出版社、p.276.〕。その後、1986年、有名なマーガレット・ミッチェルの小説『風と共に去りぬ』の続編の執筆者に選ばれ、入念な準備の末に書き上げた『スカーレット』は、1991年9月、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、など各国語で同時に出版された〔アレクサンドラ・リプリー (森瑤子 訳) 『スカーレット(四)』 新潮文庫、1994年、巻末の著者紹介参照。〕
〔日本語版の出版は、やや遅れて1992年11月。森瑤子が翻訳を担当した。〕。作品自体は厳しい評価に晒されたが、世界的なベストセラーになった。
2004年、バージニア州リッチモンドにある自宅で死去。70歳。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アレクサンドラ・リプリー」の詳細全文を読む




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