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アルムガルト・フォン・クラム : ミニ英和和英辞書
アルムガルト・フォン・クラム[らむ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラム : [らむ]
 【名詞】 1. (1) lamb 2. (2) rump 3. (3) rum 4. (4) RAM (random access memory) 5. (P), (n) (1) lamb/(2) rump/(3) rum/(4) RAM (random access memory)

アルムガルト・フォン・クラム : ウィキペディア日本語版
アルムガルト・フォン・クラム[らむ]

アルムガルト・クニグンデ・アルハルダ・アグネス・オーダ・フォン・ズィーアシュトルプフ=クラムArmgard Kunigunde Alharda Agnes Oda von Sierstorpff-Cramm, 1883年12月18日 バート・ドリーブルク - 1971年4月27日 )は、ドイツの貴族女性。オランダ女王ユリアナの姑にあたる。
== 生涯 ==
ブラウンシュヴァイク公国宮廷に侍従・厩舎長として仕えた廷臣アシュヴィン・フォン・クラム男爵(1846年 - 1909年)と、その妻の伯爵令嬢ヘートヴィヒ・フォン・ズィーアシュトルプフ(1848年 - 1900年)の間に、4人姉妹の末娘として生まれた。母ヘートヴィヒはブラウンシュヴァイク宮廷の高級官僚伯爵、普領ヴェストファーレン州知事男爵の孫娘で、バート・ドリーブルクその他の所領の女子相続人であり、父は1881年に妻方の姓を家名に加えることをプロイセン政府に許可された。
1905年10月24日にハノーファーにおいて、ボード・フォン・エインハウゼン伯爵(1881年 - 1909年)と結婚した。夫はパーダーボルン駐屯プロイセン陸軍第8驃騎兵連隊所属の士官だったが、アルムガルトはやがて夫と同じ連隊に所属するリッペ侯子ベルンハルトと不倫関係になり、エインハウゼンとは子供をもうけないまま1908年に離婚した。
1909年3月4日ににおいてベルンハルトと再婚し、間に2人の息子をもうける。しかし2人の結婚はリッペ侯家家憲のために貴賤結婚と見なされ、アルムガルトは再婚に先立つ1909年2月8日にビースターフェルト伯爵夫人に叙せられるに留まった。その後、1916年2月24日、義兄のリッペ侯レオポルト4世の裁可により、2人の婚姻は対等結婚として追認され、アルムガルトと彼女の息子たちにはリッペ=ビースターフェルト侯子(侯女)の称号と諸侯家の殿下(Durchlaucht)の敬称が認められた。
1934年に夫ベルンハルトと死別した後、アルムガルトは父から相続した所領レッケンヴァルデ(現ポーランドルブシュ県)を経営しながら、新たな伴侶となったロシア人馬術家アレクセイ・パンチューリジェフと一緒に暮らした〔Jurryt van de Vooren (20 March 2013) Koningshuis wankelde tijdens de Olympische Ruiterspelen van 1956 . sportgeschiedenis.nl〕。第2次世界大戦後、レッケンヴァルデが共産化したポーランドに併合されたため西ドイツへの脱出を余儀なくされた。1952年、長男ベルンハルトよりオランダ領内のの所領を提供され、パンチューリジェフを伴ってワルメロの屋敷に移り住み、余生を送った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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