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アルポ・マルッティネン : ミニ英和和英辞書
アルポ・マルッティネン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アルポ・マルッティネン : ウィキペディア日本語版
アルポ・マルッティネン

アルポ・クレルボ・マルッティネン(Alpo Kullervo Marttinen, 1908年11月4日 - 1975年12月20日)は、フィンランド出身の軍人。第二次世界大戦中にはフィンランド陸軍に勤務し、戦後はアメリカ合衆国に移りアメリカ陸軍に勤務した。最終階級は大佐〔Alpo Marttinen biography (in Finnish). Retrieved 4 July 2013.〕。
==経歴==
1908年、アラトールニオに生を受ける。
マルッティネンはとして知られる事件における重要人物の1人だった。この事件は継続戦争モスクワ休戦協定により終結した後、これに反発する将兵らがソビエト連邦に対する秘密抵抗運動を展開するべくフィンランド各地に軍の装備品を隠匿したというものである。事件の露呈後、これに関与した者は国外脱出を余儀なくされた。
1945年、かつての部下元中尉による援助の元でフィンランドを脱出してスウェーデンに移る。そして翌年には家族と共にアメリカ合衆国に移住し、1947年にはアメリカ陸軍に入隊、そして1951年には米国市民権を取得した。なお、マルッティネンと同様にフィンランドを脱出してアメリカ陸軍に入隊したフィンランド系将校のグループは、彼の名から「」(,)と呼ばれた〔WWII in Color – Lieutenant Colonel Alpo Marttinen Retrieved 4 July 2013.〕。このグループに所属した著名な将校としてはラリー・ソーン元大尉が知られる。
当初は特技兵の肩書で冬季戦に関する訓練教官を務めていたが、後に参謀将校となり、アメリカ本土、西ドイツ、韓国などで勤務した。また、軍歴の最後の3年間はイランに軍事顧問として派遣されていた。彼はアメリカ軍人として、1950年に陸軍指揮幕僚大学を、1963年にを卒業している〔。1968年、アメリカ陸軍を退役する。
1975年12月20日にバージニア州フォールズチャーチにて死去し、に埋葬された〔Col Alpo Kullervo Marttinen at Find a Grave.〕。彼には3人の息子がおり、三男のペッカ・マルッティネン(Pekka Marttinen, 1933年 - 1958年)はに中尉として勤務していたが〔Pekka Marttinen at Find a Grave.〕、ドイツのにて火砲の暴発に巻き込まれ死亡した〔H.A. Gill III, "Soldier Under Three Flags – The Exploits of Special Forces Captain Larry A. Thorne", pp. 191–92.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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