翻訳と辞書
Words near each other
・ アルドラーゼ
・ アルドリア
・ アルドリン
・ アルドロヴァンディーニ
・ アルドン
・ アルドン (北オセチア)
・ アルドン・ミュージック
・ アルドン酸
・ アルド・カステラーニ
・ アルド・クレメンティ
アルド・コスタ
・ アルド・コラッツァ
・ アルド・セレーナ
・ アルド・チェッカート
・ アルド・チッコリーニ
・ アルド・デ・ニグリス
・ アルド・ドゥシェル
・ アルド・ノタリ
・ アルド・ファン・アイク
・ アルド・フィンツィ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アルド・コスタ : ウィキペディア日本語版
アルド・コスタ
アルド・コスタ(''Aldo Costa'' 、1961年6月5日 - )は、イタリアパルマ出身のレーシングカーデザイナー。F1ミナルディスクーデリア・フェラーリでデザイン・開発部門の責任者(テクニカルディレクター)を務めた。ミナルディ在籍中はアルデ・コスタとも表記されていた。
== 経歴 ==
ボローニャ大学機械工学を学び、この間に、フェラーリチームの開発部門を取材しF1のサスペンション機構についての論文を著した。
1986年に大学を卒業。その後、CAD会社のアバースカンパニーで1年半ほど働いていた。
1988年、27歳の時にミナルディに加入し、チーフデザイナーに就任、その後、同チームのジャコモ・カリーリの後を受けて、1989年から1995年までの長きにわたって、ミナルディでテクニカルディレクターを務めた。
1995年末にスクーデリア・フェラーリに移籍し、1998年からロリー・バーンの助手としてアシスタントチーフデザイナーを長く務めることとなる。
2004年にバーンが第一線からの引退を表明した際に、バーンはコスタを後継者に指名し、2005年にはデザイン・開発部門の実質的な指揮がコスタに任され、バーンがデザイン・開発部門のチーフを退いたため、2006年からは正式にその責任者を務めている。
2011年5月、モナコGP後にテクニカルディレクター職の解任とフェラーリ市販車部門への異動が決定した〔アルド・コスタ、フェラーリの市販車部門に異動 F1-Gate.com 2011年6月2日付〕。7月には合意の元にフェラーリから退社することも発表された〔アルド・コスタ、フェラーリを退職 F1-Gate.com 2011年7月21日付〕。
2012年より、メルセデスGPのエンジニアリング・ディレクターに就任することが決定した〔メルセデスGP、アルド・コスタとジェフ・ウィリスの加入を発表 F1-Gate.com 2011年9月30日付〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルド・コスタ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.