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アメリカ合衆国における禁酒法 : ミニ英和和英辞書
アメリカ合衆国における禁酒法[きんしゅほう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

アメリカ合衆国 : [あめりかがっしゅうこく]
 (n) the United States of America
: [ごう]
 【名詞】 1. go (approx. 0.18l or 0.33m) 
合衆国 : [がっしゅうこく]
 【名詞】 1. United States of America 2. federal state
: [しゅう]
 【名詞】 1. masses 2. great number 3. the people 
: [くに]
 【名詞】 1. country 
: [きん]
 【名詞】 1. ban (e.g., on smoking) 2. prohibition
禁酒 : [きんしゅ]
  1. (n,vs) prohibition 2. temperance 3. abstinence 
禁酒法 : [きんしゅほう]
 (n) Prohibition Law
: [さけ]
 【名詞】 1. alcohol 2. sake 
: [ほう]
  1. (n,n-suf) Act (law: the X Act) 

アメリカ合衆国における禁酒法 : ウィキペディア日本語版
アメリカ合衆国における禁酒法[きんしゅほう]

アメリカ合衆国史における禁酒法(きんしゅほう、)とは、1920年から1933年までアメリカ合衆国憲法修正第18条下において施行され、消費のためのアルコールの製造、販売、輸送が全面的に禁止された法律である。「高貴な実験()」(13年10ヶ月19日7時間32分30秒間)とも揶揄された。
禁酒運動による相当な圧力の下で、米国上院1917年12月18日に憲法修正第18条を提出した。1919年1月16日に3/4の州(当時は36州)による批准が完了して憲法修正条項が成立し、翌年1月16日に施行された。いくつかの州議会では憲法修正第18条の批准の前に、州としての禁酒法を既に立法化していた。
ボルステッド法(正式名:国家禁酒法)はウッドロウ・ウィルソン大統領拒否権を発動するも、1919年10月28日に議会が再可決し、「酔いをもたらす飲料」を法的に定義して、憲法修正第18条で規制の対象とするアルコール飲料を定めた〔"Beer: A History of Brewing in Chicago", Bob Skilnik, Baracade Books, 2006 ISBN 978-1569803127 and 3.2% Beer , The National Institute on Alcohol Abuse and Alcoholism, National Institutes of Health.〕。一方、ボルステッド法はアルコール販売を禁止したが、法律を強制することはほとんど行われなかった。違法な酒の流通および無許可での製造販売は激烈になったが、アメリカ合衆国連邦政府にはアメリカ合衆国全ての国境、湖、河川および秘密酒場で法執行を強制する手段も意志もなかった。実際にはニューヨーク市単独でも、30,000 - 50,000軒もの違法な酒場(スピークイージー)が至るところにあった。特に都市部においては禁酒法は世界大恐慌の間、次第に不興を買うようになった。
1933年3月23日に、フランクリン・ルーズベルト大統領はボルステッド法のカレン=ハリソン修正案に署名した。そして、特定の種類のアルコール飲料の製造・販売を許可した。
1933年12月5日に、米国憲法修正第21条は修正第18条を廃止した。
== 歴史 ==

=== 起源 ===
1658年5月、マサチューセッツ州法廷は「ラム酒ウィスキーワインブランデー、その他」どのような名で知られているかどうかにかかわらず、度数の高い酒を不法と見なした 。
一般に、家庭やコミュニティでの非公式な抑制力により、アルコールの乱用は社会的に受け入れられていなかった。アルコールは神からの贈り物である一方で、その乱用は悪魔の仕業によるものという明確な社会的コンセンサスがあった。酩酊は非難・罰則の対象ではあったが、それは神からの授り物を乱用したことから非難・罰されるものであり、飲み物それ自体は過失があるとは見なされなかった。酒自体はとがめの対象ではなく、大食の罪の対象となる食物以外のものではなかった。過剰摂取は個人による軽率な行為とみなされた〔Aaron, Paul, and Musto, David. Temperance and Prohibition in America: An Historical Overview. In: Moore, Mark H., and Gerstein, Dean R. (eds.) Alcohol and Public Policy: Beyond the Shadow of Prohibition. Washington, DC: National Academy Press, 1981. pp. 127-181.〕。インフォーマルな規制の下で遵守されない酒の乱用は、常にフォーマルな規制によるバックアップが行われ、統制は保たれていた。
18世紀後半に活躍した有名な医師であるベンジャミン・ラッシュは、1784年にアルコールの過度の乱用は身体的かつ心因的な健康に有害であると主張した(彼は禁酒法よりも、むしろ個人による節度を信じた)。この主張が広範囲にわたって議論された結果、1789年にコネチカット・コミュニティのおよそ200人の農民により禁酒協会が設立され、これに類似した協会がバージニア州で1800年に、1808年にはニューヨーク州で作られ、次の10年で禁酒協会は8つの州で設立された。そのうちのいくつは州全体の組織であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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