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ひふみ神示 : ミニ英和和英辞書
ひふみ神示[かみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かみ]
 【名詞】 1. god 

ひふみ神示 ( リダイレクト:日月神示 ) : ウィキペディア日本語版
日月神示[ひつきしんじ]

日月神示(ひつきしんじ、ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明に「国常立尊」(別名、国之常立神)と呼ばれている高級神霊より自動書記によって降ろされたとされる神示である。
原文はほとんどが漢数字、独特の記号、そして、若干のかな文字の混じった文体で構成され、抽象的な絵のみで書記されている「巻」も有る〔二日んの巻(ジシンの巻)は全19帖その全てが抽象的な絵のみで書記されている。〕。本巻38巻と補巻1巻の計39巻が既に発表されているが、他にも、神霊より発表を禁じられている「巻」が13巻有り、天明は、この未発表のものについて「或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります。」と昭和36年に語っている〔平成19年現在、これらの13巻は未だ発表されていない。また、発表されている巻の中にも「星座の巻」第二十四帖のように未発表で欠帖の部分が有る。〕。
日月神示は、その難解さから、書記した天明自身も当初はほとんど読むことが出来なかったが、仲間の神典研究家や霊能者の協力などで少しずつ解読が進み、天明亡き後も妻である岡本三典1917年(大正6年)11月9日 - 2009年(平成21年)6月23日)の努力により、現在では一部を除きかなりの部分が解読されたといわれている。
しかし、一方では神示の中に「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」と書かれていることもあり〔「|三の巻」(ウミの巻)第十五帖、「龍音の巻」第十二帖。〕、解読法の一つに成功したという認識が関係者の間では一般的である。そのために、仮訳という副題を添えての発表もあった。
なお、原文を解読して漢字仮名交じりの文章に書き直されたものは、特に「ひふみ神示」または「一二三神示」と呼ばれる。日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作などにより広く一般にも知られるようになって来たといわれている。
==日月神示の降ろされた時代背景 ==

第二次世界大戦も終盤に差し掛かった昭和19年(1944年4月18日に今後の戦局を占う意味や日本の古代史のことを聞く目的もあって東京原宿扶乩(フーチ)実験が行われた。扶乩(フーチ)とは中国に昔から伝わる神霊の御神意をうかがう占い方法で、二人が一組になって行う一種の自動書記現象であるが、この時の参加者は日本の古代史を研究していた修史協翼会〔東京の千駄ヶ谷に在った八幡神社(鳩森八幡神社)で氏子総代を務めていた高井是空が設立した日本古代史を研究していたグループ。東京の原宿にあり、科学畑の人物が多かったといわれる。〕 のメンバーや、陸軍少将小川喜一など、十数名であった。その場において審神者(サニワ)〔霊媒に懸かった霊を判定する役割の人間。神の名を語る下級霊が懸かってくる場合も多いため、それらを見分ける幅広く深い霊的知識が必要とされる。〕 兼司会進行役をつとめたのが岡本天明であったが(天明はこの頃、東京の千駄ヶ谷に在る八幡神社鳩森八幡神社)で正神主が出征中のため、その代わりに留守神主をしていた)、この時に降臨した神霊がその後に日月神示を天明に書記させていく「国常立尊」で、これがその後に続く機縁の始まりだと言われている。ただこの時には「日月のかみ」や「天之日月神」と名乗り国常立尊とは名乗っていない。
(※この「天之日月神」は「国常立尊」自身ではなく「国常立尊」と天明との間を仲介した媒介神霊または媒介天使だったという説も非常に有力である。)
この扶乩実験の後、終戦直前の昭和20年の夏のある日に軍関係者(青年将校達数名)が天明のもとを訪れ、それまでに都合3度の内閣組閣しその後も隠然とした力と、軍部の考えとは正反対に独自の終戦工作を画策していたらしい元内閣総理大臣経験者である「近衛文麿」に関して、将校達は「近衛は弱腰で役に立たない。このままでは日本は滅びるだけだ。そこで、御神霊の意見を是非うかがって、その返答によっては近衛の殺害も厭わない」と述べ、神霊の御意見を伺うことを天明に促し求め、かなり殺気だった雰囲気に包まれたといわれている。しかし、それは天明の賢断によって無事に回避されたという。その判断とは「軍関係者の望んでいる答えと御神霊の答えが違っている場合はどうするのか?それを聞かなければお伺いは立てられない」と天明が語ったことと、軍関係者達に神霊の言葉に従うという内容の約束をさせたことであった。神霊の答えは「それはならぬ」だったという。この頃はまだ日月神示の解読は十分されてはなかったはずだが、軍人の一部にはすでにこれを信頼し神聖視していた者もいたらしい〔天明を訪れた将校は「陸軍の一部ではこの神示をガリ版にして配っているほど有名で信用されているのだ。」と天明に語ったという。〕。神示にはその後の日本の敗戦を明らかに書記されている部分があり、希望を失っていた軍人の中でも、前もってそれを知っていたために終戦時に自殺を思いとどまった者も多く居たという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「日月神示」の詳細全文を読む




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