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NeXT : ミニ英和和英辞書
NeXT

次の人(物), の次に, 次の, 翌~, 隣の, 今度は


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「 NeXT 」を含む部分一致用語の検索リンク〔 19 件 〕

about the middle part of next month : 来月中旬頃
early next month : 来月初め
next : 次の人(物), の次に, 次の, 翌~, 隣の, 今度は
next day : (the ~)翌日
next door to ~ : の隣に
next fall : 来年秋
next January : 来年一月
next man : (the ~)他のだれか
next month : (the ~)来月
next morning : (the ~)その翌朝
next of kin : a person's closest relative or relatives
next time I write : (the ~)次にお便りするときに
next to impossible : ほとんど不可能で
next to no time : 非常に速く(遅れることなく)
next to nothing : ほとんど何もない
next to ~ : 1.~の隣に, 2.~に近い
next week : (the ~)来週, 翌週
next year : (the ~)その翌年
on Thursday, next Thursday : 今度の木曜日に
NeXT : ウィキペディア日本語版
NeXT

NeXT(正式名称は、NeXT, Inc.Next Computer, Inc.Next Software, Inc. と変遷)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州レッドウッドシティを本拠地としたコンピュータ企業で、高等教育やビジネス市場向けのワークステーションを開発製造していた。アップルの創業者の1人スティーブ・ジョブズがアップルを辞め、1985年に創業。最初の製品NeXTcubeを1988年に発売し、小型化したNeXTstation1990年に発売。売り上げはそれほど大きくはなく、全部で5万台ほどを販売したと見積もられている。とはいうものの、その革新的なオブジェクト指向オペレーティングシステムNeXTSTEPと開発環境は多大な影響を及ぼした。
NEXTSTEPの主要なAPIは、後にOPENSTEPとして標準化された。NeXTは1993年にハードウェア事業から撤退し、いくつかのOEMへのOPENSTEP仕様販売と自社製の実装の販売に注力するようになった。NeXTはまた、世界初の企業向けWebアプリケーションフレームワーク WebObjects の開発でも知られている。WebObjects は5万ドルと高価だったために広く普及することはなかったが、Webページの動的生成に基づいた初期のWebサーバとして特筆すべき例であった。アップルは1996年12月20日、4億2900万ドルでNeXTを買収し、現行の Mac OS X の大部分はNeXTSTEPを基盤として開発された。WebObjectsは、かつてMac OS X ServerおよびXcodeの付属ソフトであった。
== 歴史 ==

=== 1985年–1986年: NeXT創業 ===
1984年、アップル創業者の1人スティーブ・ジョブズはアップルのスーパーマイクロ部門(MacintoshLisaの開発部門)の責任者を務めていた。Macintoshは、Apple University Consortium によって学生や教育機関には割引価格で販売していたため、大学などで大いに成功を収めていた〔Stross 1993, p. 67〕。Apple University Consortium は1984年2月までに5000万ドルのコンピュータを販売した。
会長として、ジョブズはMacintoshを売り込むために各地の大学や研究者をしばしば訪問していた。当時のフランス共和国大統領フランソワ・ミッテランを迎えた午餐会で、ジョブズはノーベル化学賞を受賞したポール・バーグと出会った。バーグは、実験室で実際に実験しないで、教科書だけで遺伝子組み換えを学生に教えるにはどうしたらよいかで悩んでいた。遺伝子組み合えの実験にはかなり費用がかかり、当時のパーソナルコンピュータでシミュレートするには複雑すぎた。バーグはジョブズに、彼のアップルへの影響力を行使して、高等教育用の"3M"ワークステーションを作ってくれないかと持ちかけた。"3M"とは、1メガバイト以上のRAMメガピクセルレベルのディスプレイ、メガFLOPSレベルの性能を意味する(3つの「メガ」で"3M"。Altoなどを指した用語)。
ジョブズはバーグの描いたワークステーションに好奇心をそそられ、高等教育向けコンピュータ企業を1985年秋に立ち上げることを考えたが、当時アップル社内では内紛が大きくなっていた。ジョブスの部門はMacintoshの新製品をリリースできず、Macintosh Office の大部分もリリースが遅れていた。結果として売り上げが急落し、アップルは売れ残り在庫の償却に数百万ドルを費やした〔Rose 1990, p. 227〕。アップルの最高経営責任者 (CEO) ジョン・スカリーはジョブズのアップルにおける権限を奪い取り、1985年にはジャン=ルイ・ガセーを後釜に据えた〔Rose 1990, p. 291〕。その後ジョブズはアップルの経営権を取り戻すべく闘争を開始した。ジョブズが社用で西ヨーロッパソビエト連邦に出張している間に、スカリーは取締役会の協力をとりつけた。
数カ月間アップル社内で邪魔者扱いされた末、ジョブズは1985年9月13日(金曜日)に辞任した。彼は取締役会に、退職後に新たなコンピュータ会社を立ち上げることと、スーパーマイクロ部門から数人の従業員を連れて行くことを明らかにした。また、その会社はアップルとは直接競合することはないし、新会社で設計したものをMacintoshブランドでマーケティングするべくライセンス提供することもありうると表明していた。
ジョブズはアップルコンピュータの株式売却で得た700万ドルを出資し、アップル元従業員のバッド・トリブル、George Crow、Rich Page、Susan Barnes、スーザン・ケア、Dan'l Lewin と共に新会社 NeXT, Inc. を創業。各地の教育関係の業者と相談し(ポール・バーグとも再び会合を行った)、ワークステーションの仮の仕様が出来上がった。それは、遺伝子実験シミュレーションを実行できるほど強力で、大学生が自分の部屋で使える程度に安価になるよう設計された。しかし仕様が確定する以前に、アップルはNeXTが創業者のインサイダー情報を利用しているとして訴えた〔Deutschman, p. 44〕。ジョブズはこれについて、「4300名以上を抱える20億ドル企業がブルージーンズをはいた6人に太刀打ちできないとは想像しにくい」と述べた〔。この訴えは裁判になる前に取り下げられた。
1986年、ジョブズは有名なグラフィックデザイナーであるポール・ランドに10万ドルでブランド・アイデンティティ制作を依頼した。ランドは、ロゴの正確な角度(28°)や社名の正確な綴り(NeXT)などを含む100ページのブランドの詳細を示す冊子を作った〔。最初の外部からの出資はテキサス州の実業家ロス・ペローからの資金提供だった。ペローはテレビ番組 ''The Entrepreneurs'' で、ジョブズとNeXTの従業員を初めて見た。1987年、ペローは2000万ドルを出資し、NeXTの株式の16%を得た(つまり、この時点で会社の時価総額は1億2500万ドル)。1988年には、取締役会に参加することになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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