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Houston ( リダイレクト:ヒューストン ) : ウィキペディア日本語版
ヒューストン

ヒューストンHouston)は、アメリカ合衆国テキサス州南東部に位置する都市。2,099,451人(2010年国勢調査)の人口を抱えるテキサス州最大、全米第4の都市である〔American FactFinder . U.S. Census Bureau. 2011年2月4日.〕。ハリス郡を中心に9郡にまたがるヒューストン都市圏の人口は5,920,416人(2010年国勢調査)にのぼる〔。市域面積は1,500km²におよび、市郡一体の自治体を除くとオクラホマシティに次ぐ全米第2の広さである。
ヒューストンは1836年8月30日にオーガストゥス・チャップマン、ジョン・カービーのアレン兄弟によってバッファロー・バイユーの河岸に創設された。市名は当時のテキサス共和国大統領で、サンジャシントの戦いで指揮を執った将軍、サミュエル・ヒューストンから名を取って付けられた。翌1837年6月5日、ヒューストンは正式に市制施行された。19世紀後半には海港や鉄道交通の中心として、また綿花の集散地として栄えた。やがて1901年油田が見つかると、市は石油精製石油化学産業の中心地として成長を遂げた。20世紀中盤に入ると、ヒューストンには世界最大の医療研究機関の集積地テキサス医療センターアメリカ航空宇宙局(NASA)のジョンソン宇宙センターが設置され、先端医療の研究や航空宇宙産業の発展が進んだ。古くからこうした様々な産業を持ち、フォーチュン500に入る企業の本社数がニューヨークに次いで多いヒューストンは、テキサス州のみならず、成長著しいサンベルトの中心都市の1つであり、アメリカ合衆国南部のメキシコ湾岸地域における経済・産業の中枢である。また、全米最大級の貿易港であるヒューストン港U.S. Port Ranking by Cargo Volume 2004 . Port Industry Information, American Association of Port Authorities. 2004年.〕を前面に抱え、ユナイテッド航空(旧・コンチネンタル航空)のハブ空港であるジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港を空の玄関口とする、交通の要衝でもある。また、日本を含む世界86ヶ国が領事館を置く世界都市でもある〔International Representation in Houston . ''Greater Houston Partnership''. (PDFファイル/30.2KB)〕〔THE GLOBAL CITIES INDEX 2010 〕。
このようにヒューストンは工業都市・ビジネス都市としてのイメージが強い都市であるが、文化水準の高い都市でもある。ダウンタウンの南側には10以上の博物館・美術館が建ち並び、年間700万人の訪問者を呼び寄せるミュージアム・ディストリクトがある。ミュージアム・ディストリクトに隣接するエリアには、全米の総合大学の中で常にトップ25位以内の高評価を受けている名門私立大学ライス大学のキャンパスが広がっている。一方、ダウンタウンの中心部に位置するシアター・ディストリクトはヒューストンにおける演技芸術の中心地で、演劇のみならず、オペラオーケストラバレエなど多彩な演技芸術の公演が行われている〔Museums and Cultural Arts . ''Greater Houston Partnership''. (PDFファイル/33.2KB)〕。
ジョンソン宇宙センターの存在から、ヒューストンには1967年に''Space City''(宇宙の街)という公式な別名がつけられた〔National Aeronautics and Space Administration . ''JSC Celebrates 40 Years of Human Space Flight''.〕。地元住民はこのほか、''Bayou City''(バイユーの街)、''Magnolia City''(マグノリアの街)、''H-Town''などと呼ぶこともある。
== 歴史 ==

1836年8月、ニューヨークの不動産起業家、オーガストゥス・チャップマン・アレンとジョン・カービー・アレンの兄弟はバッファロー・バイユー周辺のこの地に都市を創設すべく、6,642エーカー(約27km²)の土地を購入した〔Coutinho, Juliana. Brief history of Houston . The Daily Cougar. 2000年9月13日.〕。サンジャシントの戦いで名を馳せた将軍で、その年の9月にテキサス共和国の大統領に選出されたサミュエル・ヒューストンの名を取って、アレン兄弟はこの都市をヒューストンと名付けることを決定した〔。ヒューストンは翌1837年6月5日に市制を施行し、ジェームズ・サンダース・ホルマンが初代市長に就任した〔Houston, Texas . Handbook of Texas Online.〕。またその年、ヒューストンはテキサス共和国の暫定首都、およびハリスバーグ郡(現ハリス郡)の郡庁所在地となった〔Looscan, Adele B. Harris County, 1822–1845 . ''Southwestern Historical Quarterly''. Vol.19. pp.37–64. 1916年.〕。1840年、バッファロー・バイユーに建設された新しい海港における貨物の積降や水上交通のビジネスを活性化させるため、ヒューストンには商業局が設置された〔Perry, John. Born on the Bayou: city's murky start . City Savvy Online Edition. 2006年.〕。
1860年頃には、ヒューストンは綿花の集積地・輸出拠点として栄え、商業や鉄道交通が発展した〔。テキサス州内陸部各地からの鉄道はヒューストンで合流し、ガルベストンボーモントの港へと通じていた。南北戦争中、ジョン・B・マグルダー将軍はガルベストンの戦いにおいてヒューストンを隊の集合地とし、市内には同将軍の司令部が置かれた〔Cotham, Edward T. ''Sabine Pass: The Confederacy's Thermopylae''. University of Texas Press. Austin, Texas, United States. 2004年. ISBN 0-292-70594-8.〕。南北戦争が終結すると、ヒューストンの実業家たちは市の中心部とガルベストン港との間での商業を活性化させるため、イニシアチブを取ってバイユー網の拡張に努めた。
1900年ガルベストン・ハリケーンが上陸してガルベストンの港町が壊滅的な被害を受けると、内陸のヒューストンにより安全な、水深の深い、近代的な港を造る機運が高まった〔J.H.W. Stele to Sayers, September 11-12, 1900 . Texas State Library & Archives Commission.〕。翌1901年、ボーモントの近くのスピンドルトップ油田石油が見つかると、ヒューストンでは石油産業が興った〔Olien, Diana Davids and Olien, Roger M. ''Oil in Texas: The Gusher Age, 1895–1945''. University of Texas Press. Austin, Texas, United States. 2002年. ISBN 0-292-76056-6.〕。さらにその翌年、1902年には、当時の大統領セオドア・ルーズベルトヒューストン港運河、ヒューストン・シップ・チャネルの整備費用100万ドル(当時)の計上を承認した。掘削に7年の歳月を費やした後、1914年、大統領ウッドロウ・ウィルソンはヒューストン港を開港した。1930年には人口292,352人を数え、サンアントニオダラスを抜いてテキサス州最大の都市になった〔Gibson, Campbell. Population of the 100 Largest Cities and Other Urban Places in the United States: 1790 to 1990 . Population Division, U.S. Census Bureau. 1998年6月.〕。

第二次世界大戦が開戦すると、ヒューストン港の貨物取扱量は減少し、積降は保留とされるようになった。しかし、戦争需要から市の経済はむしろ活性化した。戦時中の石油化学製品や合成ゴムの需要増加に対応するため、シップ・チャネル沿いには石油化学工場や製造工場が建設された〔Houston Ship Channel . TSHA Handbook of Texas.〕。地元の造船業も増産し、市の成長を促した〔Shipbuilding . TSHA Handbook of Texas.〕。経済成長をエリントン・フィールド空港は、もとは第一次世界大戦の最中に設置されたものであったが、航空士や爆撃手の上級訓練センターとして生まれ変わった〔Carlson, Erik. Ellington Field: A Short History, 1917–1963 . National Aeronautics and Space Administration. 1999年2月. (PDFファイル)〕。1945年、M.D.アンダーソン財団はテキサス医療センターを設置した。第二次世界大戦の終結とともに、ヒューストンの経済は再び港湾中心に戻った。1948年、近隣の所属未定地を合併したことにより、ヒューストンの市域はそれまでの2倍以上になり、地域全体にわたって広がり始めた〔〔Streetman, Ashley. Houston Timeline . Houston Institute for Culture.〕。1950年代に入り、エアコンが普及し始めると、蒸し暑いヒューストンの夏も快適に過ごせるようになり、多くの企業がヒューストンに移転してきた。その結果、ヒューストンの経済は高度成長期を迎え、エネルギー産業を中心とした経済に移行していった〔How Air Conditioning Changed America . ''The Old House Web''.〕〔A Short History . ''Houston Geological Auxiliary''.〕。1961年には有人宇宙船センター(1973年ジョンソン宇宙センターに改称)が設置され、ヒューストンには航空宇宙産業が興った。
1970年代に入ると、北部のラストベルトから南部のサンベルトへの人口と産業の移動が始まり、ヒューストンの人口は急増した〔Polish-Texans . Texas Almanac 2004-2005.〕。1973年第一次オイルショック原油価格が高騰すると、大量消費型の製造業を中心としていた北部の工業都市が軒並み衰退する一方で、産油地であるヒューストンは潤い、石油産業を中心に創出された雇用を求めて大量の住民が移入してきた。しかし、1980年代中盤に入ると原油価格が暴落し、経済は沈滞、人口増加のペースも鈍化した。そこに1986年チャレンジャー号爆発事故が追い討ちをかけ、航空宇宙産業も打撃を受けた。アメリカ経済そのものの低迷もヒューストンの地域経済に影響を及ぼした。その教訓から1990年代以降、ヒューストンは経済の多様化に努め、航空宇宙産業やバイオテクノロジーといったハイテク分野に力を入れることで石油化学産業への依存度を減らしてきた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Houston 」があります。




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