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2010年-2011年アラブ世界騒乱 : ミニ英和和英辞書
2010年-2011年アラブ世界騒乱[らん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
ラブ : [らぶ]
 【名詞】 1. (abbr) lab 2. laboratory 3. love 4. (n) (abbr) lab/laboratory/love
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
世界 : [せかい]
 【名詞】 1. the world 2. society 3. the universe 
騒乱 : [そうらん]
 【名詞】 1. disturbance 2. riot 3. mayhem 

2010年-2011年アラブ世界騒乱 ( リダイレクト:アラブの春 ) : ウィキペディア日本語版
アラブの春[あらぶのはる]

アラブの春(アラブのはる、)とは、2010年から2012年にかけてアラブ世界において発生した、前例にない大規模反政府デモを主とした騒乱の総称である。2010年12月18日に始まったチュニジアジャスミン革命から、アラブ世界に波及した。また、現政権に対する抗議・デモ活動はその他の地域にも広がりを見せており、アラブの春の事象の一部に含む場合がある。各国におけるデモは2013年に入っても続いた。なお、“Arab Spring”という言葉自体は2005年前後から一部で使用されていたものである〔朝日新聞 - 【再録】シンポジウム「2012年“アラブの春”とパレスチナの行方」(主催:パレスチナ子どものキャンペーン) - Asahi中東マガジン〕〔""Three Cheers for the Bush Doctrine. History has begun to speak, and it says that America made the right decision to invade Iraq," TIME, March 7, 2005; also posted by Foundation for the Defense of Democracies, March 13, 2005.〕〔"An Arab Spring?" Hoover Digest / Hoover Institution, Spring 2005: "The only approach to solving the problem of safety in a world of Islamic and Arab radicalism is to change the culture of the region. A year ago people were saying that was a utopian dream. History is beginning to show that it is not."〕〔"The Arab spring continues in Lebanon," townhall.com, April 1, 2005.〕。
一方で、2012年に入ると政権の打倒が実現したエジプトリビアでも国内の対立や衝突が起きるなど民主化に綻びが見られ始めた。また、遅れて反政府デモが盛り上がりを見せたシリアでは泥沼の内戦状態に突入し、国内のスンナ派シーア派の対立やアルカイダ系の介入などによる火種が周辺国にも影響を及す恐れが懸念されるようになった〔。そして2014年には、元アルカイダ系のイスラーム過激派組織「ISIL」がシリアとイラク国境をまたぎ台頭し、地域情勢は深刻な事態に陥る。国際的な支援が得られなかったアラブの春は挫折した〔『日本経済新聞』2015年12月31日付け朝刊、13版、第22面〕 。
== 概要 ==
この地域は、世界の原油天然ガスの産出・埋蔵量の多くを持ち、アラブ世界の中のユダヤ核保有国と目されるイスラエル、世界の大動脈スエズ運河、反米のイランカダフィ大佐リビア、多数派スンナ派が少数派シーア派を支配し石油の富が公平に分配されていない湾岸諸国を抱えている。数度の戦争が起きた地域であり、政情が不安定である。
チュニジアエジプトなど30年以上の長期独裁政治が、数ヶ月足らずの間に相次ぐ民衆のデモ活動で揺らぐことになった。当初、特にイラン(シーア派、反米)、イスラム原理主義イスラーム過激派、軍部、宗教指導者などの影響は限定的であり、民衆の力によって次々と影響が広がっているため、騒乱収束後の展開は流動的であると考えられていた。
蓋を開けてみると、2011年10月23日にチュニジアで行われた選挙の結果はこれに反し、ムスリム同胞団の影響を受けたイスラーム系政党「アンナハダ」が第一党の地位を獲得することとなった。今後は経験の浅いイスラーム系政党がどのように地域の安定化を図るか注目されている。一方、。
世界経済が不調の中、もともとエジプトの騒乱では小麦価格の高騰による貧困層の困窮や、若年失業率(多いところでは5割)の大きさが原因としてあげられている。逆に革命を引っ張っているのは、まだ少数ながら教育を受け経済力を持ち、情報手段を持つ「中間層」である。
これらの革命の背景にはソーシャルネットワークの役割も大きいとされる。衛星放送〔送信も衛星で行われるため、規制が困難である。エジプトはアル・ジャジーラを禁止にしたが、欧米メディアは夜間外出禁止令にも拘わらず報道を続けた。〕やインターネットの普及で情報は瞬時に伝わり〔アラビア語という共通の言葉でつながれた地域であり、国際語はほぼ英語である。〕、携帯電話ツイッターフェイスブックなどで抗議活動に関する呼びかけなどが行われた。さらにイスラム教の合同礼拝(国民的宗教行事のため禁止は不可能)のため合法的に人が集まり、情報や人々の感情などが直接伝わることも革命を後押しするのに功を奏した。様々な情報に加えて、政権側によるデモの弾圧などで犠牲となった死者の棺は大通りを練り歩き、治安部隊などの行動は周知されることとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アラブの春」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Arab Spring 」があります。




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