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1994年の日本シリーズ : ミニ英和和英辞書
1994年の日本シリーズ[1994ねんのにっぽんしりーず]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
日本 : [にっぽん, にほん]
 【名詞】 1. Japan 
日本シリーズ : [にほんしりーず]
 (n) Japan Series
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

1994年の日本シリーズ : ウィキペディア日本語版
1994年の日本シリーズ[1994ねんのにっぽんしりーず]

1994年の日本シリーズ(1994ねんのにっぽんシリーズ、1994ねんのにほんシリーズ)は、1994年10月22日から10月29日まで行われたセ・リーグ優勝チームの読売ジャイアンツパ・リーグ優勝チームの西武ライオンズによる第45回プロ野球日本選手権シリーズである。
== 概要 ==
長嶋茂雄監督率いる読売ジャイアンツと、森祇晶監督率いる西武ライオンズとの対決となった1994年の日本シリーズは、巨人が4勝2敗で勝利し、5年ぶり18度目の日本一。長嶋監督にとって監督として初の日本一となった。巨人は東京ドームでは初の日本一達成となった。
当時の両チームの対照性について、シリーズ直後に槙原寛己は次のとおり述べている〔『number』 1994.11.24 353号 34頁 -〕。
: リーグ優勝の胴上げシーンなんかもうちと西武と全然違いましたよね。西武は大人っていうか。日本シリーズにしても第2戦に勝った時、うちは優勝したような騒ぎで喜んで。(中略)(巨人は)純粋に喜び合えるチーム…。
西武はこの年後半混戦の中から加速して5年連続リーグ優勝を達成していること、過去の巨人 - 西武の日本シリーズでいずれも西武が勝利していることや、巨人が7~9月いずれも負越しの末、最終戦(いわゆる「10.8決戦」)でリーグ優勝を決めたというレギュラーシーズン後半の状況などから、西武有利の予想が大半を占めた〔日本経済新聞縮刷版1994年10月号p.1083 「総合力ではもちろんだが、守備と走塁では格段に差がある」の他に中畑清打撃コーチ(当時)が攻撃力の差の大きさを認めている旨などが報じられている。〕。前年、西武と日本シリーズを戦ったヤクルトスワローズ監督(当時)野村克也は西武有利としながらも前年より戦力が落ちているから巨人にもチャンスがあると予想した〔サンケイスポーツ1994年10月22日号〕。
第1戦は前回1990年のシリーズを再現するような形で西武が圧勝、第2戦は巨人が槙原の「完封で勝った」(1対0)という展開で始まった。西武にはさらに、清原和博のシリーズ4本塁打や、工藤公康がシリーズ初の3者連続3球三振〔第2戦の3回に記録〕という個人の活躍があった。
しかし、西武には、チームリーダーの石毛宏典が12打数1安打と大ブレーキとなったことや、第2戦以降、守備や走塁面のミスが目立ち、上記槙原コメントにもある「大人」のチームのイメージとの乖離が見られた〔『プロ野球70年史』歴史編p.628~〕。森監督も、監督退任後の自著『覇道』で、監督として戦った日本シリーズの中で94年ほど「考えられないミスが続出したシリーズは初めてであった」と振り返っている〔森『覇道』14頁-22頁〕。
一方、巨人は、初戦で先発桑田真澄が打ち込まれて敗戦投手となったものの、試合後のミーティングで西武の主力打者の特徴を指摘、2戦目の槙原の完封につながった〔。槙原は2完投勝利の活躍でMVPに選ばれた。また、後記する、屋鋪要の第2戦最終回の同点を阻止したダイビングキャッチ、第5戦での緒方耕一の満塁本塁打なども試合の行方に大きく影響した〔。
西武・森監督にとって槙原は調子の波の激しさの一方でいい状態でシリーズを迎えたら、と最も警戒する投手であった。それだけに槙原が登板して挙げた2勝は、西武にとって大きな敗因の一つとなった〔。四番打者の清原はこのシリーズで桑田から3本塁打を放つなどしたが、槙原には完全に抑えられている。
巨人3勝2敗で迎えた第6戦(東京ドーム)が行われる10月29日の朝、スポーツ紙各紙に「西武・森監督今季限りで勇退へ」というニュースが掲載され、ゲーム前の練習中、東京ドームのオーロラビジョンにも流されるなど、西武黄金時代の終焉のあらわれの一つと位置づけられる〔。
この年、長嶋監督は報道陣の前でシリーズに関して次の予言をしたが、いずれも「的中」した〔。
:
*「西武とのシリーズは4勝2敗でウチが勝つ。もう決まっているから」(10.8決戦での優勝決定後の会見)
:
*「いずれにしてもこの東京ドームにまた戻ってきます」(シリーズ第2戦終了後の勝利監督インタビューで)
:
*「今日は3-1で決めます」(優勝決定試合のシリーズ第6戦開始前の会見)
この年のシリーズは、平日の試合(第3~5戦)のみ日本シリーズでは30年ぶりにナイターで開催された。この年は試験的に平日開催分のみナイターで開催されることになったが、好評だったため翌から全試合に拡大された。また延長戦の規定も見直され、ナイターで行われる場合は第7戦まで(この年は事実上第3-5戦のみ)は15回まで(時間無制限は変更せず。またデーゲーム時の延長戦の回数、および第8戦以後の延長制限撤廃は旧来と同じ)とする仕組みに変更された。1995年から原則全試合ナイターとなったため、日本シリーズでのデーゲーム開催は、の日本シリーズ(第1戦のみ)まで行われなくなった。また、この年は初のデーゲーム・ナイター併用の日本シリーズとなったが、これも同様に2011年まで行われなかった。
なお、この年はメジャーリーグベースボールのワールドシリーズ232日間に及ぶ長期ストライキにより中止されたことを受け、アメリカ合衆国の一部でも中継された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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