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1983年の日本シリーズ : ミニ英和和英辞書
1983年の日本シリーズ[1983ねんのにっぽんしりーず]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
日本 : [にっぽん, にほん]
 【名詞】 1. Japan 
日本シリーズ : [にほんしりーず]
 (n) Japan Series
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

1983年の日本シリーズ : ウィキペディア日本語版
1983年の日本シリーズ[1983ねんのにっぽんしりーず]

1983年の日本シリーズ(1983ねんのにっぽんシリーズ、1983ねんのにほんシリーズ)は、1983年10月29日から11月7日まで行われたセ・リーグ優勝チームの読売ジャイアンツパ・リーグ優勝チームの西武ライオンズによる第34回プロ野球日本選手権シリーズである。
== 概要 ==
西武ライオンズと読売ジャイアンツの激突となったこの日本シリーズは、球界の盟主の座を賭けた戦いと評され、日本社会の広い範囲から注目を浴びた戦いだった。第3戦以降最終戦の第7戦まで先制したチームが負けるなど、逆転に次ぐ逆転の連続で屈指の名勝負となった。視聴率は連日40パーセントを集めた。あまりの激闘ぶりに監督、選手たちは「ここまでやれば、もうどちらが勝ってもいい」(広岡達朗〔広岡達朗『積極思想のすすめ』講談社文庫、1988年、225p〕)「第6戦を終えたあたりで、正直いって勝ち負けはもうどうでもいいやという気分になったよ」(中畑清〔月刊ホームラン1989年11月号『日本シリーズ40年 激動のドラマ』p153〕)という境地になったと振り返った。西武が4勝3敗で勝利し、2年連続で西武になってから2度目、西鉄時代から5度目の日本一。
西武はシーズン途中から日本シリーズを見据えて巨人の選手を研究していた。田淵幸一江川卓のビデオを「夢にまで出るほど」見ていたという。田淵は打棒が冴えて優秀選手に輝いた。大田卓司はシリーズ通じて打ちまくり最優秀選手となったが、7戦通じて一度もお立ち台にあがることなくMVPに輝くという珍しいケースだった。クローザーの森繁和は当時5勝5敗34セーブをマークし34セーブは当時の日本記録だったが、第3,5戦でサヨナラ打を浴びてしまった。西武は第4戦以降入団2年目(21歳)の捕手・伊東勤を先発メンバーとして抜擢。伊東はその後1998年の第2戦まで捕手として67試合連続日本シリーズスタメン出場を記録する。
巨人は「3勝」を計算していたエース・江川が絶不調でしかも第4戦にピッチング途中で太ももを痛めるというアクシデントに見舞われ本来の力を発揮できないまま終わった。抑えの角三男が故障で万全の状態ではなかったため継投に難があった。江川の穴は西本聖が埋めた形となった。西本は第7戦も6回まで完璧な投球であったが、7回表に安打で走者に出た際、幾度も全力疾走を強いられてしまい(結局その回無得点)、7回裏には明らかに疲労の表情を見せ、無死満塁からテリー・ウィットフィールドに走者一掃の二塁打を打たれ、これが致命傷となった。
西武は前年に続きエースの東尾修をリリーフに回しシーズン34セーブをマークした抑えの森との2枚でリリーフに厚みを増していたはずだった。しかし森は第3戦、第5戦とサヨナラ打を浴び、東尾も第3戦で9回二死無走者から同点を許し、第5戦も2点リードの7回裏に登板するも巨人打線に捕まって2点を取られて同点にされるなどの救援失敗を重ねた。しかし第7戦では2点リードされた7回表から登板し7回裏に味方が3点取って逆転すると8,9回を無失点に抑えて勝利に貢献し胴上げ投手となった。
サヨナラゲームが3試合、第3戦以降は先取点を取った方が必ず負けるスリリングな試合展開となった。第6戦で巨人が1点リードで迎えた9回を抑えれば日本一という巨人は必勝を期して西本をマウンドに送った。9回表に勝ち越して喜んでたところ首脳陣から登板を命じらた緊急登板だった。だが1死から4本ヒットを浴びて同点とされてしまう。延長10回、今度は江川が金森栄治にサヨナラ打を放たれる。この両エースの投手起用失敗が巨人にとっては大きな誤算となった。巨人の藤田監督はシリーズ終了後に勇退。後任には、当時助監督であった王貞治が就任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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