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1983年のF1世界選手権 : ミニ英和和英辞書
1983年のF1世界選手権[1983ねんのえふ1せかいせんしゅけん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
F : [えふ]
 ファロー四徴(症)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
世界 : [せかい]
 【名詞】 1. the world 2. society 3. the universe 
世界選手権 : [せかいせんしゅけん]
 (n) world (an international) championship (title)
: [せん]
 【名詞】 1. (1) selection 2. choice 3. election 4. (2) compilation 5. editing 
選手 : [せんしゅ]
 【名詞】 1. (1) player (in game) 2. (2) team 
選手権 : [せんしゅけん]
 【名詞】 1. leading 2. top-rank 3. champion 
: [て]
 【名詞】 1. hand 
: [けん, ごん]
  1. (n,n-suf) authority 2. the right (to do something) 

1983年のF1世界選手権 : ウィキペディア日本語版
1983年のF1世界選手権[1983ねんのえふ1せかいせんしゅけん]

1983年のF1世界選手権は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第34回大会である。1983年3月13日ブラジルで開幕し、10月15日南アフリカ共和国で開催される最終戦まで、全15戦で争われた。
== シーズン概要 ==
この年からグラウンド・エフェクト・カーを禁止するフラットボトム規定(車体底面を平面とする規則)が導入された。マシンの開発方向は変化し、大型ウイングでダウンフォースを稼ぎ、強大なターボパワーで疾走するドラッグレーサースタイルが主流となった。全16戦中ターボ勢が13勝。自然吸気エンジンはストリートコース3戦でしか勝機がなかった。アメリカ東GPでのミケーレ・アルボレートの優勝は一時代を築いたDFVシリーズの最後の1勝となった。
ターボエンジンの開発者として自動車メーカーの参入が続いた。前年のBMWに続き、ポルシェバッジネームTAG)がマクラーレンへ、ホンダスピリットウィリアムズへ試験的供給を開始。ホンダは第一期活動から15年ぶりのF1復帰となった。また、ルノーとBMWは複数チームへのエンジン供給を行った。
前年ブラバムが編み出したレース中の再給油作戦が流行したが、ピットストップ中の出火事故も発生した。特殊燃料の開発、カーボンモノコック、カーボンディスクブレーキの普及など、ターボ全盛時代に向けた技術改良が進められた。
チャンピオン争いは中盤戦までルノーアラン・プロストブラバムネルソン・ピケフェラーリパトリック・タンベイの接戦となった。この中からプロストが抜け出し、残り4戦の時点で14点のリードを取った。しかし、オランダGPでピケと絡んでリタイアしてから歯車が狂い、2連勝のピケに接近された。また、後半戦3勝を挙げたフェラーリのルネ・アルヌーも加わり、プロスト57点、ピケ55点、アルヌー49点で最終戦にもつれ込んだ。結果はプロスト、アルヌーがリタイア、ピケが3位4ポイント獲得し2ポイント差で逆転。見事2度目のワールドチャンピオンに輝いた。敗れたルノー陣営では内紛が起こり、プロストはチームを追われマクラーレンへ移籍することになる。コンストラクターズタイトルはフェラーリが2年連続で獲得した。
アメリカ西GPでは予選20番台からスタートしたマクラーレン勢が1・2フィニッシュ。予選22番のジョン・ワトソンは最も後方から優勝した記録の保持者となっている。
この年デビューした有力選手はF2でチームメイトだったティエリー・ブーツェンステファン・ヨハンソン、この年のF2でシリーズチャンピオンを獲得したジョナサン・パーマー、2輪でトップライダーとして活躍したジョニー・チェコット。コンストラクターではスピリットとRAMが参戦し、セオドールが撤退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「1983年のF1世界選手権」の詳細全文を読む




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