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1880年共和党全国大会 : ミニ英和和英辞書
1880年共和党全国大会[1880ねんきょうわとうぜんこくたいかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
: [ども]
  1. (suf) indicates plural - humble referring to oneself, disdainful referring to others 
共和 : [きょうわ]
 【名詞】 1. republicanism 2. cooperation 
共和党 : [きょうわとう]
 【名詞】 1. Republican Party 
: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 
: [とう]
  1. (n,n-suf) (1) party (political) 2. (2) faction 3. -ite 
: [ぜん]
  1. (n,pref) all 2. whole 3. entire 4. complete 5. overall 6. pan 
全国 : [ぜんこく, ぜんごく]
 【名詞】 1. country-wide 2. nation-wide 3. whole country 4. national
全国大会 : [ぜんこくたいかい]
 【名詞】 1. national convention 2. national athletic meet
: [くに]
 【名詞】 1. country 
国大 : [こくたい, こくだい]
 【名詞】 1. national university 
大会 : [たいかい]
 【名詞】 1. convention 2. tournament 3. mass meeting 4. rally 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 

1880年共和党全国大会 : ウィキペディア日本語版
1880年共和党全国大会[1880ねんきょうわとうぜんこくたいかい]

1880年共和党全国大会(1880ねんきょうわとうぜんこくたいかい、)は、1880年6月2日から8日まで、イリノイ州シカゴのインターステート・イクスポジション・ビルで開催された共和党全国大会である。同年11月の大統領選挙に向けて、オハイオ州出身のジェームズ・ガーフィールドを大統領候補に、ニューヨーク州出身のチェスター・A・アーサーを副大統領候補に指名した。
大統領候補として名告りを挙げた14人の中で、この大会までに有力候補とされたのは、ユリシーズ・グラントジェイムズ・G・ブレイン、およびジョン・シャーマンの3人だった。グラントは既に1869年から1877年まで2期大統領を務めた実績があり、前例のない3期目への返り咲きを狙っていた。共和党内のストールワート派(意志の固い人)の後ろ盾があり、政治マシーンや後援会を支持していた。ブレインはメイン州選出アメリカ合衆国上院議員と同下院議員を経験しており、共和党のハーフ・ブリード(混血)派のバックがあった。シャーマンは南北戦争で著名な将軍ウィリアム・シャーマンの弟であり、当時はラザフォード・ヘイズ政権の財務長官を務めていた。オハイオ州選出の上院議員であり、ストールワート派とハーフ・ブリード派を支持しない代議員に支持されていた〔。
第一回目の投票で、シャーマンは93票、グラントが304票、ブレインが285票を得た。誰も勝利に近付いたものが居らず、勝者を決めるための投票が続いた。投票が何度行われても、過半数を得る候補が居なかった。35回の投票が行われた後、ブレインとシャーマンが新しい「ダークホース」候補者であるジェームズ・ガーフィールド支持に切り換えた。次の投票でガーフィールドは399票を獲得し、グラントより93票多く、党公認候補となった〔Ackerman (2003), p120–121.〕。ガーフィールドの出身地オハイオ州の代議員団が、副大統領候補としてストールワート派のチェスター・A・アーサーを選んだ。アーサーは468票を得て候補指名を獲得し、それまでで最長となった共和党全国大会が終わった。ガーフィールドとアーサーの組み合わせは11月に行われた投票で、民主党ウィンフィールド・スコット・ハンコックウィリアム・ヘイデン・イングリッシュの組を接戦で破った〔Ackerman (2003), p221.〕。
== 背景 ==
現職アメリカ合衆国大統領としてのラザフォード・ヘイズは共和党の中で熱い緊張感を作りだしていた。ヘイズは北部共和党員の代わりに南部民主党員に知事職を提案することで党の支援後援関係から遠ざかっていた〔Ackerman (2003), p46.〕。その行動はニューヨーク州のロスコー・コンクリング、メイン州のジェイムズ・G・ブレインなど党内から厳しい批判を受けていた。ヘイズは1880年アメリカ合衆国大統領選挙に出馬したとしても勝てそうにないことが分かっており、再選を求めないことにした〔Ackerman (2003), p18.〕。共和党内で対立する派閥であるストールワート派とハーフ・ブリード派は、その選挙を熱い心で待っていた〔Ackerman (2003), p19.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「1880年共和党全国大会」の詳細全文を読む




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