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1860年オックスフォード進化論争 : ミニ英和和英辞書
1860年オックスフォード進化論争[ろんそう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
オックスフォード : [おっくすふぉーど]
 【名詞】 1. Oxford 2. (n) Oxford
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
進化 : [しんか]
  1. (n,vs) evolution 2. progress 
進化論 : [しんかろん]
 (n) theory of evolution
: [か]
 (suf) action of making something
: [ろん]
 【名詞】 1. (1) argument 2. discussion 3. dispute 4. controversy 5. discourse 6. debate 7. (2) theory 8. doctrine 9. (3) essay 10. treatise 1 1. comment
論争 : [ろんそう]
  1. (n,vs) controversy 2. dispute 

1860年オックスフォード進化論争 : ウィキペディア日本語版
1860年オックスフォード進化論争[ろんそう]

1860年オックスフォード進化論争は、イギリスオックスフォードオックスフォード大学自然史博物館で、チャールズ・ダーウィンの『種の起源』の出版から7ヶ月たった1860年6月30日に行われた議論である。〔 トマス・ヘンリー・ハクスリー、サミュエル・ウィルバーフォース大司教、ベンジャミン・ブロディ、ジョセフ・ダルトン・フッカーロバート・フィッツロイなどを含む、幾人かの著名なイギリスの科学者哲学者が参加した。〔 ウィルバーフォースがハクスリーに「あなたが猿の家系と主張しているのは祖父方ですか、それとも祖母方ですか」と尋ねたといわれる、白熱したやりとりとしてこの論争は今日最も知られている。
ハクスリーは、「私は猿を祖先に持つことは恥じない。しかし素晴らしき天賦の才を真実を覆い隠すために使った者と縁をもつことを恥じよう」と応酬したと言われている。〔 ある証人はウィルバーフォースのハクスリーへの質問は「進化論がダーウィンによって提唱されたままの発展途中の法則であるという非常に当てにならない状態であるのに、誰もが素晴らしく偉大な自分の祖父がかつて猿やゴリラであったことへ歓声の声をあげるかのごとくこのいわゆる法則、言い換えると仮説に賛同できるであろうか。」であっただろうと言う。〔''The Morning Chronicle'', 9 July 1860. The writer of the letter calls himself "Harpocrates".〕 その一方で別の証人はウィルバーフォースが「ハクスリー自身にとって、自分の祖父が猿と呼ばれようと呼ばれまいとたいして重要ではないのだ」と言っていただろうと言う。〔''Glasgow Herald'', 4 July 1860. The writer of the letter is identified as "a well-known townsman" called "J.S."〕
この表現は幾分か誤りであるが、この議論はしばしばハクスリー・ウィルバーフォース論争またはウィルバーフォース・ハクスリーの論争として知られている。しかしながら2人の間の公式な論争であったというよりは、実際はニューヨーク大学のジョン・ウィリアム・ドレイパーによる、ダーウィンの理論に関連したヨーロッパでの知的発展についてという論文(英国科学振興協会の年次総会の一部としてその週の間に発表された、膨大な科学論文の中の一つ)の発表の後に起こった活発な議論であった。〔Oxford Chronicle, 7 July 1860.〕 ハクスリーとウィルバーフォース以外にも議論の参加者はいたけれども、彼らは議論における2つの多数派であったと報告されている。〔 なお、一語一語正確に記録された資料は存在せず、〔 実際に何をハクスリーとウィルバーフォースが発言したのかは非常に曖昧である。〔
==背景==

生物の種が変化するという考えは19世紀前半では非常に物議をかもした。宗教で正統と思われていた信仰とは正反対で社会的秩序を脅かすものとして見られたが、一方では民主主義を広め貴族中心のヒエラルキーを打倒しようと努める急進主義者らに歓迎された。1844年ロバート・チェンバースにより『創造の自然史の痕跡(Vestiges of the Natural History of Creation)』が匿名で出版されたことは議論の嵐を引き起こしたが、この本は幅広い読者層を惹きつけベストセラーになった。 一方で英国科学振興協会が1847年5月にオックスフォードで会合を開いている時には、オックスフォード大司教サミュエル・ウィルバーフォースが「科学の誤ったやり方」についてセント・メアリ教会の日曜日の説教において、地質学者天文学者動物学者らが多く集まり僅かな隙間も無いなかチェンバースを明確に狙った辛辣な反論を述べた。科学における既存の権威はこの考えに反対し続けたが、しかしこの本は多数の大衆読者を改心させていた。
チャールズ・ダーウィンの『種の起源』は1859年11月24日に出版され幅広い議論と論争を引き起こした。当時影響力のあった生物学者、リチャード・オーウェンは『エディンバラ・レビュー』に匿名で種の起原に対する極端に敵対的なレビューを書き、〔. Published anonymously.〕そしてウィルバーフォースに進化論についての情報を伝えた。ウィルバーフォースは後に『クオーター・レビュー(Quarterly Review)』に匿名で1700文字のレヴューを書いている。 〔. Published anonymously.〕
ダーウィンが自身の理論を発表前に共有していた小さなグループの一員であったトマス・ハクスリーは進化論での主要な論者として台頭した。彼はいくつかの論文や1860年2月の英国王立科学研究所での講演とともに、1859年12月に『タイムズ』に『種の起源』に好意的なレビューを書いた。
伝統的な教会の人々の反応は敵対的であったが、1860年2月に7人の自由主義的神学者による『エッセーとレビュー』が出版されたことへのより大きな熱狂的賞賛により注目が方向転換した。彼らの中でも聖職者であるバーデン・パウエルはすでに進化論的な考えを賞賛しており、ダーウィンのすばらしい本は自然が持つ自力で発展する能力というすばらしい法則を実証している、とエッセーの中で論評した。〔
英国科学振興協会(しばしば簡潔に"BA"と略される)が1860年6月に新しいオックスフォード大学自然史博物館で年次総会を招集したとき、進化論に関する論争は注目の的であった。6月28日木曜日にはチャールズ・ダウベニーが「ダーウィン氏の著作…と特に関連して、植物での性別の最終的な原因について」という論文を発表した。〔 オーウェンとハクスリーは両者とも出席していたので、ダーウィンの理論について議論が噴出した。〔 オーウェンは大衆が「ダーウィン氏の理論の真相についてとある結論にたどり着ける…」ことを可能にするであろうことについて話し、「ゴリラの脳は最も知能の低い霊長類の脳と比較する時よりも人間の脳と比較する時のほうが差異が出る。特になぜなら人間だけが神経性下垂体側脳室の下角、小海馬を持っているからだ」という、1857年に初めて彼が口頭発表した解剖学上の主張を繰り返した。ハクスリーはこれが誤りであると確信していたので、その誤りを探し求めていた。そして彼は初めて公衆の面前でこの点について講演し、自分の立場に対する詳細な裏付けを提供することを約束しながら、オーウェンへの「直接的で率直な反論」のなかで先行研究を引用して「ゴリラの脳と人間の脳の間の違いは非常に大きいということを完全に否定した。」
ウィルバーフォースは日曜日の朝の会合で演説することに賛同した。彼が1847年の会合でのように、進化論的思想を取り除けたと公言すると推測された。ハクスリーは当初ウィルバーフォースを進化論についての公開論争に引き入れることに気が進まなかったが、ロバート・チェンバースに信念を放棄しないように説得された。〔〔 聖職者であるバーデン・パウエルも論争の舞台に立ったかもしれないが、彼は6月11日に心臓発作で亡くなっていた。〔

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「1860年オックスフォード進化論争」の詳細全文を読む




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