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酒沢成治[さかざわ せいじ]
酒沢 成治(さかざわ せいじ、1918年5月1日 - 2002年5月6日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(内野手)、監督。1953年から1954年までの登録名は「酒沢 政夫」(さかざわ まさお)。 == 来歴・人物 == 育英商業学校から、田村駒商店(現・田村駒)を経て、1938年にライオン軍へ入団しプロ入り。1年限りで退団となるが、朝日軍時代の1942年から1944年に再びプレー。1945年の日本プロ野球活動休止によって互光製作所を経て、1946年から1952年まではゴールドスター→金星スターズ→大映スターズでプレー。1951年には、当時の日本記録である153打席連続無三振、川上哲治と並び現在も日本記録であるシーズン最少三振6を記録している〔最少三振記録については、外部リンク(日刊スポーツの訃報記事)を参照。〕。1953年から1954年まで阪急ブレーブスでプレーし現役引退。引退後は、阪急二軍と社会人野球の日本楽器野球部で監督を務めた〔外部リンク参照。〕。 2002年5月6日の午後9時54分、心筋梗塞のため静岡県藤枝市の病院で死去〔。享年84。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「酒沢成治」の詳細全文を読む
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