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酒井重澄 : ウィキペディア日本語版
酒井重澄[さかい しげずみ]

酒井 重澄(さかい しげずみ)は、江戸時代前期の大名下総生実藩主。飛騨高山藩2代藩主金森可重の七男。
元和8年(1622年)、徳川秀忠に拝謁する。のち徳川家光小姓となり堀田正盛とともに寵愛を受け、その命で酒井忠勝の家号を称するようになり、下総国生実に2万5,000石を与えられた(下総国関宿等3万石との説もあり)。
病気で屋敷で静養しているのにもかかわらず、4子をもうけたことから家光の勘気を受け、寛永10年(1633年)勤務怠慢との理由で改易となった。備後福山藩水野勝成にお預けとなり、寛永19年(1642年)に食を断って自殺した。自らの境遇を恥じた為といわれている。
長男の重知も重澄に連座して伯父の金森重頼にお預けとなったが、承応2年(1653年)に許され、翌年2,000俵を給され、子孫は2,000石の旗本として存続した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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