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趙祖康 : ウィキペディア日本語版
趙祖康[ちょう そこう]

趙 祖康(ちょう そこう、)は、中華民国の技術官僚・政治家。道路建設を専門とするテクノクラートであり、中華人民共和国でも民主党派の要人となった。初如
== 事績 ==

=== 初期の活動 ===
1914年民国3年)、江蘇省立第三中学に入学し、同中学卒業後の1918年(民国7年)に南洋公学(後の国立交通大学)土木工程系へ進学している。同大学卒業後は中国各地で道路事業に従事し、1929年(民国18年)春に国民政府交通部で局長職を得た。翌1930年(民国19年)、国民政府鉄道部の推薦によりアメリカへ留学し、コーネル大学で研究に従事している。〔中国国民党革命委員会中央委員会(2008)。〕〔徐主編(2007)、2281頁。〕〔劉国銘主編(2005)、1689頁。〕
1931年(民国20年)夏に趙祖康は帰国し、鉄道部工務処で引き続き道路工事事業に携わる。翌1932年(民国21年)に全国経済建設委員会が設立されると、その内部機関である公路処で副処長(後に処長代理)となった。1935年(民国24年)5月、交通部西北公路総局副局長に任ぜられ、後に西南公路総局局長に昇進している。日中戦争(抗日戦争)勃発後も引き続き道路建設事業に従事し、1938年(民国37年)1月、〔中国国民党革命委員会中央委員会(2008)による。劉国銘主編(2005)、1689頁は同年「9月3日」とする。〕交通部公路総管理処処長に抜擢された。〔〔〔

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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