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谷正鼎 : ウィキペディア日本語版
谷正鼎[こく せいてい]

谷 正鼎(こく せいてい、1903年10月24日 - 1974年11月1日)は、中華民国(台湾)の政治家。中国国民党に属し、兄の谷正倫谷正綱も同党や国民政府で要職に就き、彼らと共に「谷氏三兄弟」と称された。銘枢
== 事跡 ==

=== 国民党中央執行委員へ ===
貴州省立初級師範学校を卒業し、五四運動期間中は貴州学生聯合会主席を務めた。1922年民国11年)、兄の谷正綱と共にドイツに渡り、ベルリン大学で政治・経済を学んだ。1924年、兄弟で揃って中国国民党に加入する。1925年、やはり正綱と共にソビエト連邦に向かい、モスクワ中山大学で研究に従事した。
1927年(民国16年)8月に帰国し、北伐中の国民革命軍に合流、第26軍政治部主任兼党代表となった。また、中央党部宣伝部秘書、中央委員会設計委員も務めている。北伐完了後の1929年(民国18年)に、北平特別市党部常務委員に任ぜられ、さらに国民政府行政院参事、国難会議会員などを歴任した。1932年(民国21年)5月、鉄道部参事に就任して、10月に同部総務司司長となった。1935年(民国24年)11月、党第5期中央執行委員候補となり、1937年(民国26年)2月に中央執行委員に補充・昇格している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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