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藤原本雄 : ウィキペディア日本語版
藤原本雄[ふじわら の もとお]
藤原 本雄(ふじわら の もとお、生年不詳 - 貞観18年3月28日876年4月26日))は、平安時代前期の貴族。名は本緒とも記される〔『尊卑分脈』では本緒、六国史では本雄とする。〕。藤原式家左大臣藤原緒嗣の子。官位従四位上大和守
== 経歴 ==
天長8年(831年従五位下叙爵仁明朝では嘉祥2年(849年大判事に任ぜられた記録があるのみで、全く昇進がなかった。
文徳朝に入り、仁寿3年(853年)22年ぶりに昇進して従五位上・刑部大輔に叙任され、翌仁寿4年(854年伊勢権介を兼ねる。天安2年(858年)2月に治部大輔に遷任し、同年8月に文徳天皇が崩御すると前次第司次官を務めている。清和朝では、貞観3年(861年大蔵大輔に任ぜられたのち、貞観4年(862年正五位下加賀守、貞観10年(868年従四位下大和守に叙任されるなど地方官を歴任した。貞観18年(876年)3月28日卒去。最終官位散位従四位上。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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