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藤原敦光 : ウィキペディア日本語版
藤原敦光[ふじわら の あつみつ]

藤原 敦光(ふじわら の あつみつ、康平6年(1063年) - 天養元年10月28日1144年11月24日))は、平安時代後期の文人儒学者藤原式家右京大夫藤原明衡の子。官位正四位下式部大輔
== 経歴 ==
4歳で父・明衡に死別し、兄・敦基の養子として育つ。嘉保元年(1094年)に官吏登用の対策に及第して、承徳2年(1098年)に式部丞に任命される。大内記文章博士大学頭を経て、保安3年(1122年)に式部大輔となる。保延元年(1135年)に発表された天変地異飢饉盗賊に関する「勘申」を始めとして、漢文を書く能力によって認められ、堀河天皇鳥羽天皇崇徳天皇の三代に侍読として仕え、彼の手になる詔勅は多い。しかし儒官の功労による参議任官はかなわなかった。天養元年(1144年)4月に病のため出家し、その年の10月28日に没した。享年82。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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