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第一モールメン・タキン事件 : ウィキペディア日本語版 | 第一モールメン・タキン事件[だいいちもーるめん たきんじけん] 第一モールメン・タキン事件(だいいちモールメン・タキンじけん)は、1945年7月にビルマ南東部モールメンの郊外で、日本軍(ビルマ憲兵隊モールメン分隊)が、反日ゲリラ活動を行ったとして現地住民26人を射殺した事件。1947年にBC級戦犯裁判(イギリス・ラングーン裁判)で裁かれた〔林(1998) 117-118頁、岩川(1995) 213-219頁〕。 == 事件 == 1945年7月24日頃、ビルマ南東部モールメンの郊外で、ビルマ憲兵隊モールメン分隊(東登憲兵大尉以下17,8人)が、反日ゲリラ活動を行った疑いで現地住民およそ80人を逮捕し、取調べ後に残った26人をモールメン郊外のチャイマロ約11kmの地点に連行し、射殺した〔岩川(1995) 213-215頁〕。 ゲリラ容疑者の殺害にあたり、東憲兵大尉は、たまたま現場近くにあったビルマ方面軍司令部にゲリラ容疑者の逮捕を報告し、ビルマ方面軍司令部から直属の上級者であるビルマ憲兵隊司令部(司令官・久米真多男憲兵大佐)および同モールメン分隊本部(分隊長・粕谷武世憲兵中佐)を経て「厳重処分」の命令を受けて射殺を実行していた〔林(1998) 117頁。岩川(1995) 215-216頁では、ビルマ憲兵隊司令部、同モールメン分隊本部をとびこえて命令の受け渡しをした、としているが、林(1998)に記述のある裁判での証言内容と食い違うため、林(1998)によった。〕。
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