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熊十力 : ウィキペディア日本語版
熊十力[ゆう じゅうりき]
熊 十力(ゆう じゅうりき、Xiong Shili, 号は子真 1885年 - 1968年5月23日)は、現代中国の著名な学者であり、新儒家の代表的な思想家である。
黄岡県(湖北省)の出身。原名は継智だが、升恒、定中と改名し、後に十力と改める。号は子真、漆園老人と号した。父親は郷村の塾教師であった。若くして父母を失い、軍に入った。1911年の内外を震撼させた武昌起義に参加し、湖北督軍府参謀に任じられる。辛亥革命の失敗後、1917年広州へ行き、孫文が推進する「護法運動」に参加したが、その失敗の後、哲学研究に専心することを決意。1920年には、南京支那内学院に入り、欧陽竟無大師に従い、仏教学を研習した。その後、武昌の文華大学、天津の南開中学、北京大学浙江大学で教鞭を執る。
日中戦争の勃発後、北京大学の移転に従い、南して昆明雲南省)に移り、楽山復性書院で、宋明理学を講授する。彼は、ある民族が存続するためには、自己の哲学と自己の文化を持つことが不可欠であると考えた。これにより、精力的に儒家の学説に対する研究を開始した。また、『読経示要』などの儒学に関する著作を著し、胡適らの人々の“全盤西化”の主張に対して批判を展開した。ただし、聖賢の手になるという経典の中に沈迷することなく、伝統的な儒学に対して徹底的な反思を加え、なおかつ、その中に諸子百家の諸説をも呑み込み、儒仏をも融合し、一個の思弁的で緻密な中国化した哲学を独創した。
1944年、その『新唯識論』(語体文本)を上梓し、重慶商務印書館より中国哲学会の『中国哲学叢書』甲集の第1部として出版した。本書は彼の最も主要な思想書であり、熊十力の哲学思想体系が完成したものである。彼の思想の変化を端的に表現すれば、文言文本は、なお“新仏家”の学者の所説と評することができ、それに対して、語体文本は“新儒家”の学者の著作とみなすことができる。そのやや後に出版された『十力語要』、『十力語要初続』などの書中において、熊十力の新儒家哲学思想の主要な内容が展開されている。解放後、首届全国政治協商会議に参加、その後、全国政協、二、三、四届委員に選任される。1968年5月23日、文化大革命の迫害を受けたのち、上海で病没(絶食して死んだとも伝えられる)。
==著作==
『新唯識論』(1932年, 文言文本)、『原儒』(1956年)、『体用論』、『明心篇』、『仏家名相通釈』、『乾坤衍』など。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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