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湯浅芳子 : ウィキペディア日本語版
湯浅芳子[ゆあさ よしこ]

湯浅 芳子(ゆあさ よしこ、1896年12月7日 - 1990年10月24日)は、ロシア文学翻訳者。
==略歴==
京都府京都市出身。裕福な商家に生まれる〔「百合子、ダスヴィダーニヤ」 〕。17歳で日本女子大学英文予科に入学したが、中退してロシア文学者の昇曙夢に師事、ロシア文学ロシア語を学びはじめる。作家の田村俊子にファンレターを送ったのをきっかけに、1915年から田村との交流が始まる〔: 新発見の湯浅芳子日記・書簡をめぐって」黒澤 亜里子 沖縄国際大学文学部紀要. 国文学篇 19(2), 133-159, 1991-03-25 〕。田村は湯浅からの書簡をほとんどそまま使って小説「緑色」を執筆〔。婦人雑誌の編集に従事する中で、ロシア文学の翻訳・紹介を志す。24歳のとき京都の芸妓・北村セイと同棲〔。
その後、野上弥生子の紹介で宮本百合子(当時は中条百合子)と知り合い、1924年から、当時の夫と離婚した百合子と共同生活を送る。1927年から1930年にかけて、百合子とともに当時のソ連に滞在する。帰国後は、ロシア・ソビエト文学の翻訳紹介を行い、21世紀までよみつがれる翻訳を発表した。『婦人民主新聞』の編集長も務めた〔〕。この時期のことは百合子の『伸子』『二つの庭』『道標』に詳しい。
百合子とは、彼女の再婚を期に共同生活を断ち、その後は深い関係にはいたらなかった。宮本は後年、湯浅との関係について「互の感情生活も極めて複雑であった」と夫婦にも似た関係であったことを書いている〔〕。湯浅は晩年の1978年になって、自分宛の百合子書簡を編集、発表し、百合子の全集が刊行される前の時期の研究の深化に寄与した。同性愛者であり、宮本をはじめとして何人かの女性と同棲生活を送ったが、異性と恋愛関係になることは最期まで無かった(瀬戸内寂聴「孤高の人」によれば処女のまま生涯を終えたという)。生涯独身を貫いたこと(ただし、茶人で尾崎一雄夫人の異母姉である山原鶴が事実上の本妻的立場にいた)で、フェミニズムの立場からの注目も集まっている。
晩年は浜松の老人ホームで暮らした〔。このころ沢部ひとみが取材し、1990年に『百合子、ダスヴィダーニヤ 湯浅芳子の青春』を書き上げる。同年10月、93歳で没した。死後、彼女の功績を記念し、外国戯曲の優れた翻訳・脚色・上演を行った者に贈られる湯浅芳子賞が作られた。
生前の湯浅芳子と交流があった瀬戸内寂聴による回想評伝『孤高の人』(筑摩書房、ちくま文庫で再刊、2007年)がある。
百合子との関係については、沢部ひとみ『百合子、ダスヴィダーニヤ 湯浅芳子の青春』(学陽書房「女性文庫」、1996年)に詳しい。2008年には、宮本百合子との往復書簡が刊行された。2010年には、浜野佐知監督による映画『百合子、ダスヴィダーニヤ』が制作された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「湯浅芳子」の詳細全文を読む



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