翻訳と辞書
Words near each other
・ 清川村 (千葉県)
・ 清川村 (大分県)
・ 清川村 (山形県)
・ 清川村 (山梨県)
・ 清川村 (曖昧さ回避)
・ 清川村コミュニティバス
・ 清川村営バス
・ 清川村立宮ヶ瀬小学校
・ 清川村立緑小学校
・ 清川村道土山高畑線
清川来吉
・ 清川栄治
・ 清川正二
・ 清川正明
・ 清川江
・ 清川江号
・ 清川江駅
・ 清川浩行
・ 清川清二
・ 清川玉枝


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

清川来吉 : ウィキペディア日本語版
清川来吉[きよかわ らいきち]
清川 来吉(きよかわ らいきち、1864年元治元年)1月2日 - 1957年昭和32年)10月)は、日本医師政治家。初代鎌倉市長広島県出身。
== 来歴 ==
1884年広島県立医学校(現広島大学医学部)卒業。その後、帝国医科大学選科(現東京大学医学部)で学び1888年医師免状を授与される。同年伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)入所、細菌学の実施研究を行う。ままなく帰郷し広島県下に診療所を開設、また広島県医師会長を兼ねた。1889年栃木県足尾病院副院長に就任。1891年、鎌倉雪ノ下に養生所を開設して鎌倉との繋がりが始まった。神奈川県師範学校の他、鎌倉の小学校の嘱託医となる。1900年神奈川県検疫官。1902年、鎌倉町小町に養生院(現・清川病院)を開設。1909年、鎌倉町町会議員に当選し医道から政道に転身。1917年、鎌倉町町長に初当選、以降再選留任を果たし長期に渡り町政を担う。町民多年の宿望であった市制施行に尽力、また史都鎌倉を永遠に遺すため、全市史跡地として指定すべく都市計画法施行に尽力。1939年、鎌倉の市制施行に伴い、初代鎌倉市市長となった。1957年、半生を鎌倉のために尽くしその生涯を閉じた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「清川来吉」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.