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浜口 炎(はまぐち ほのお、1969年12月17日 - )は、東京都出身のプロバスケットボール指導者である。 == 来歴 == 向丘高校ではガードとして活躍。 愛知学泉大学に進学し、指導者の道へ。 卒業後、母校のコーチ、米国留学などを経て、2004年にトヨタ自動車アルバルクのアシスタントコーチに就任。 2005年、bjリーグに参戦する仙台89ERSの初代ヘッドコーチに就任。「熱血指揮官」として知られ、試合では、テクニカルファウルも恐れず、抗議をすることも少なくない。プロバスケ! bjリーグtvの特集では「選手がプレーでミスをした」場合は怒らないが、「選手が気持ちのこもったプレーをしていない」と、怒るという。これは浜口が「ヘッドコーチとして選手と共に戦いたいから」という浜口の強い気持ちがあるからである。 2010-11シーズンは東日本大震災の影響でチームは活動休止に追い込まれ、浜口を含めたコーチ陣・選手たちは全員解雇となった。 浜口自身は震災後も仙台でコーチ業を続けようと考えていたが「失礼な条件のオファーしかできない。たとえ会社が自主再建できたとしても契約はしない。なので他(のチーム)をあたって欲しい」というチーム側の考えから浜口は6シーズン過ごしてきた仙台の地を去ることとなった〔「仙台で続けたかった」 元bj仙台HC・浜口氏に聞く (河北新報 2011年5月8日)〕 その後、2011-12シーズンより京都ハンナリーズのヘッドコーチに就任する事が明らかになった。〔bjリーグ 前仙台HCの浜口氏、京都へ (河北新報 2011年7月1日)〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浜口炎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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