翻訳と辞書
Words near each other
・ 池江璃花子
・ 池沢あやか
・ 池沢さとし
・ 池沢一郎
・ 池沢夏樹
・ 池沢孝之
・ 池沢早人師
・ 池沢春人
・ 池沢春菜
・ 池沢理美
池沢義行
・ 池沢麻奈美
・ 池沼
・ 池沼プランクトン
・ 池泉回遊式庭園
・ 池泉式庭園
・ 池波志乃
・ 池波正太郎
・ 池波正太郎の江戸料理帳
・ 池津祥子


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

池沢義行 : ウィキペディア日本語版
池沢義行[いけざわ よしゆき]

池沢 義行(いけざわ よしゆき、1939年(昭和14年)5月14日 - )は、栃木県〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、33ページ〕出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手
== 来歴・人物 ==
大田原高校から神奈川大学に進学。神奈川五大学リーグで3度首位打者を獲得〔。1962年(昭和37年)に読売ジャイアンツへ入団。
1年目から公式戦に出場、2年目にはレギュラー外野手として113試合に出場した。この年(1963年)は1試合だけだが、4番も経験している〔。
1963年(昭和38年)8月11日阪神タイガース戦では、リリーフで登板した村山実が審判(国友正一)のボール判定に抗議し、涙を浮かべながら退場する場面があったが(「どこ見てるんや! わしは一球一球、命かけて投げてるんや」と。)この時に打席に立っていた打者が池沢である。ちなみに池沢は前日の試合でも、7回までノーヒットピッチングだった村山から8回にヒットを放っている。
1964年(昭和39年)は7月9日の対阪神戦で太田紘一から右肘に死球を受け、打撃不振に陥った〔。
1965年(昭和40年)には、吉田勝豊安藤元博らとの交換トレードで坂崎一彦山崎正之と共に東映フライヤーズへ移籍したが不本意な成績に終わり、オフに戦力外通告を受けた。同年10月には前年に死球を受けた右肘を手術している〔。そして1966年(昭和41年)、テストでジャイアンツへ復帰。だが余り活躍できず、同年オフに引退した〔。
引退後は埼玉県志木市で、ガソリン販売業に従事している(2003年現在)〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「池沢義行」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.