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永田地名解 : ウィキペディア日本語版
永田方正[ながた ほうせい]
永田 方正(ながた ほうせい、天保9年3月1日1838年3月26日) - 明治44年(1911年8月22日)は、明治時代の教育者。後年は北海道アイヌ人教育とアイヌ語研究に力を注いだ。
== 略歴 ==
伊予国西条藩士の宇高家の子として江戸で生まれた。永田吉平の養子となり永田姓となる。昌平坂学問所に学び、文久元年(1861年)西条藩主の侍講となる。明治に入ってからは英書翻訳を生業とした。主な訳書には『西洋教草』などがある。1881年(明治14年)7月に開拓使に採用され北海道に渡り、函館商船学校、函館師範学校の教諭を務めたほか、函館県の命により遊楽部(現在の八雲町)でアイヌ教育に取り組んだ。函館に在住の時、函館美以教会(現・日本基督教団函館教会)で山鹿元次郎より洗礼を受ける。〔『日本キリスト教歴史大事典』P.1106〕1883年(明治16年)にはアイヌ語文法書『北海小文典』を著す。1886年より北海道庁の命を受けアイヌ語地名の調査に従事、1891年刊行した『北海道蝦夷語地名解』にその成果をまとめた。札幌農学校などでも教壇に立ったのち1909年に上京、東京高等女学校で国文学を教えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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