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森中千香良 : ウィキペディア日本語版
森中千香良[もりなか ちから]

森中 千香良(もりなか ちから、1939年10月20日 - 2008年4月14日)は、奈良県奈良市出身のプロ野球選手投手)・野球解説者野球評論家。からまでの登録名森中 通晴(もりなか みちはる)。
== 来歴・人物 ==
奈良県立奈良商工高等学校からに南海ホークスへテスト入団。には、17勝8敗・勝率.680でパシフィック・リーグ最高勝率を記録。野村克也皆川睦雄杉浦忠などとともに南海の黄金時代を支えた。
以後、に大洋ホエールズ、には東映フライヤーズ(1973年は日拓、1974年は日本ハム)、には再び大洋に移り引退。
よりテレビ神奈川(TVK)・ニッポン放送(LF)のプロ野球解説者となる。LFでは主にベンチリポーター〔『12球団全選手カラー百科名鑑2003』P240に掲載された、森中の解説者名鑑より「21年間LFのそれもメインでなくベンチレポート役に徹した苦労人。」の記述あり。〕や予備カードの解説者〔2009年に発行された松本秀夫(ニッポン放送アナウンサー)の著書『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』(ぜんにち出版発行。ISBN 978-4-86136-122-7)より、松本の公式戦初実況が森中の解説による予備カード(1987年8月9日、広島対大洋戦)であったことがつづられている。〕を務めた。
からに中日ドラゴンズ二軍投手コーチを務めた後、からまでは、LF〔『'98プロ野球12球団全選手百科名鑑』P199に掲載された、森中の解説者名鑑(ニッポン放送の解説者として紹介)より「長年在籍のLFに復帰。」との記述あり。〕〔参考リンク…KBCラジオで森中とプロ野球中継を担当していたアナウンサーによるブログ記事:
* 訃報です - 小林徹夫(KBCアナウンサー)の公式ブログ(KBCウェブサイト内)より、2008年4月17日付エントリ
* 田上和延(KBCアナウンサー)の公式ブログ(KBCウェブサイト内)→より、2008年4月 →4月21日付エントリ『森中千香良さん』を参照。〕およびCSテレビ放送各局(J SPORTSGAORA〔参考:GAORA公式サイト内で配信されたプロ野球中継放送予定表
* 2003年6月当時 (インターネット・アーカイブ2003年6月8日付保存キャッシュ)より、同8日の日本ハム対ダイエーデーゲームの解説を担当する予定だったことが確認できる。
* 2003年8月当時 (インターネット・アーカイブ2003年8月1日付保存キャッシュ)より、同12日の日本ハム対オリックスナイトゲームの解説を担当する予定だったことが確認できる。〕)〔『プロ野球12球団全選手百科名鑑』(2000年より『12球団全選手カラー百科名鑑』)シリーズの解説者名鑑では、未掲載の場合もあり(参考:2000年・2002年)。2003年版から最後の掲載となった2007年版までは、CS系の解説者としてプロフィールが掲載。2003年版は出演先について「Jスカイスポーツ」、2004年版は「JスカイS」との表記で紹介(※Jスカイスポーツ=J SKY SPORTSは、J SPORTSの旧称)。2005年版以降は他の解説者とともにCS系というくくりで紹介。2003年版P240に掲載された森中の解説者名鑑では「コーチ後はCS系」との記述があるが誤り。〕の解説者を務めた。LFでは予備カードやNRN系列地方局向けの裏送り中継〔〔参考:『東海ラジオ ガッツナイター』番組公式サイト内中継日程ページ
* 2002年当時 (インターネット・アーカイブ2002年10月22日付保存キャッシュ) ※5月12日の横浜対中日デーゲーム(実況は松元真一郎。リンク先は「森元真一郎」と誤記)、7月17日ヤクルト対中日ナイトゲーム(実況は師岡正雄)、9月4日横浜対中日ナイトゲーム(「森中千薫良」と誤記。実況は洗川雄司)。
* 2003年当時 (インターネット・アーカイブ2003年10月6日付保存キャッシュ) ※6月26日のヤクルト対中日ナイトゲーム、8月8日・9月19日横浜対中日ナイトゲーム(いずれも、実況は福永一茂)。
* 2004年当時 (インターネット・アーカイブ2004年10月9日付保存キャッシュ) ※8月13日ヤクルト対中日ナイトゲーム(実況は石黒新平)。
〕が中心であり、復帰以降は印刷物に掲載される番組広告やwebページの解説者リストにも名前が載っていなかった〔参考リンク:
* 2001年当時の『ニッポン放送ショウアップナイター』解説者名鑑 (インターネット・アーカイブ2001年6月27日付保存キャッシュ)
* 2007年当時の『ニッポン放送ショウアップナイター』公式サイト (インターネット・アーカイブ2007年12月21日付保存キャッシュ)
〕。KBCラジオ(九州朝日放送)向け裏送りによる福岡ソフトバンクホークス戦中継を担当する事が多く、担当した試合の不敗神話も生まれた〔。また、東京中日スポーツの野球評論家も務めた〔外部リンク(ライツのプロフィール)を参照。〕。
2008年4月14日16時55分、膵癌のため奈良県大和郡山市の病院で死去。〔森中千香良氏死去 - 『日刊スポーツ』2008年4月15日付 同日閲覧。〕。
生涯独身であり、パンチョ伊東らと結成した「独身貴族会」の一員でもあった。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「森中千香良」の詳細全文を読む



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