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林家九蔵 : ウィキペディア日本語版
林家九蔵[はやしや くぞう]
林家九蔵(はやしや くぞう)は落語家の名前。
*1. 三遊亭好楽の前名
*2. 宮崎県で活動しているアマチュア落語家
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== 現 三遊亭好楽の林家九蔵 ==
林家九蔵は、三遊亭好楽(本名・家入信夫(いえいり のぶお)、現・円楽一門会所属)の前名である。1983年まで落語協会所属であった。
1966年8代目林家正蔵(後に彦六)へ入門し、9番目の弟子であった事から「九蔵」と名づけられ〔同じような理由で、2006年より『笑点』出演者となった春風亭昇太は、5代目春風亭柳昇8番弟子であったことから、前座名を「昇」と名付けられた。二ッ目昇進と同時に現在の昇太に改名している。〕、1981年10月真打昇進。8代目正蔵が『彦六』と名乗っている期間中に真打となった唯一の弟子。
兄弟子や他の同期、林家三平ら師匠格の噺家や当時『笑点』の司会だった三波伸介からは「キュウちゃん」と呼ばれていたが、“九蔵”は「クゾウ」と読む。
1982年師匠彦六の死後一年喪に服してから、1983年に落語協会を退会。円楽一門会総帥5代目三遊亭圓楽門下に移籍する。この時に“好楽”に改名。元々前座時代より鳳楽(前座当時「楽松」)6代目圓橘(前座当時「朝治」)とは入門先がバラバラであったものの仲が良かった。
前座時代、自宅には天野幸夫こと後の三遊亭小遊三が同居していたことから、師匠宅に住み込みでなく、実家からの通い修行であったことが推測される。
===笑点における略歴===
*1979年9月9日三笑亭夢之助の卒業により大喜利メンバーになる(着物の色はピンク)。
*1980年10月5日4代目三遊亭小圓遊急逝、11月2日古今亭朝次(現:7代目桂才賀)が参入し、着物の色はピンクを譲って小圓遊の着ていた水色を着用。
*1981年10月4日:『笑点』番組内で真打昇進披露。
*1982年2月7日:師匠彦六の追悼特集が『笑点』で組まれ、兄弟子2代目橘家文蔵、林家枝二(現:7代目春風亭栄枝)、初代林家木久蔵(現:林家木久扇)と共に出演。
*1983年4月:移籍・改名後、10月16日三遊亭小遊三と交代。
*1988年4月3日:桂才賀の卒業により『笑点』に復帰(着物の色はピンク)。現在に至る。
===彦六一門時の兄弟弟子===

*三遊亭市馬(廃業し、落語協会事務員に転職(※九蔵の“九”は彼から弟子を数えている事になっている))
*5代目春風亭柳朝
*2代目林家正楽紙切り
*2代目橘家文蔵
*7代目春風亭栄枝(当時は林家枝二、師匠彦六没後、春風亭栄枝襲名)
*林家木久扇2007年9月20日までは初代林家木久蔵
*5代目はやし家林蔵
*3代目八光亭春輔
*(九蔵)…現・三遊亭好楽
*3代目桂藤兵衛(師匠彦六没後、二つ目の為、兄弟子文蔵一門に移籍)
*林家時蔵(師匠彦六没後、二つ目の為、兄弟子柳朝一門に移籍するが病床となり木久扇一門に移籍)
*林家正雀(師匠彦六没後、二つ目の為、兄弟子文蔵一門に移籍)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「林家九蔵」の詳細全文を読む



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