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東条英教 : ウィキペディア日本語版
東條英教[とうじょう ひでのり]

東條 英教(とうじょう ひでのり、安政2年11月8日1855年12月16日) - 大正2年(1913年12月16日)は、日本陸軍軍人陸軍中将陸軍大学校第一期生で、首席卒業の穎才として知られる。東條英機の実父である。日本体育会体操練習所(現日本体育大学)所長を務めた。
== 経歴 ==
1855年12月16日(安政2年11月8日)に陸奥の盛岡藩東條英俊の嫡男として誕生。その後、幕末、大政奉還明治維新などを経験。
陸軍教導団に兵卒として入隊。1877年、西南戦争に従軍、少尉試補に昇進。1885年度 陸軍大学校を首席で卒業(第一期生、卒業生は10人)。明治天皇から恩賜の望遠鏡を賜る(6期生までは恩賜の望遠鏡であった)。卒業後、陸軍大学校教官に任命され、メッケルに師事する。1888年から1891年まで井口省吾山口圭蔵とともにドイツへ留学。
1891年(明治24年)9月16日 任 陸軍少佐、ドイツ留学被免、補 陸軍大学校兵学教官〔『官報』第2535号「叙任及辞令」1891年12月10日。〕。参謀本部第4部長(戦史編纂)などを経る。日露戦争では、歩兵第三旅団長として出征。しかし、抗命などを理由に解任、帰国させられる。1907年11月7日、中将に名誉進級後、予備役に編入〔『官報』第7310号、明治40年11月8日。〕。
心臓病を患い、1911年11月より神奈川県小田原町の別荘で療養していたが、1913年12月に容体が急変し、同月16日に死去した〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)194頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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