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陸軍教導団 : ミニ英和和英辞書
陸軍教導団[りくぐんきょうどうだん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りく, ろく]
 (adj-na,n) six (used in legal documents)
陸軍 : [りくぐん]
 【名詞】 1. army 
: [ぐん]
  1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops 
教導 : [きょうどう]
  1. (n,vs) instruction 2. teaching
: [だん]
 【名詞】 1. body 2. group 3. party 4. company 5. troupe

陸軍教導団 : ウィキペディア日本語版
陸軍教導団[りくぐんきょうどうだん]

陸軍教導団(りくぐんきょうどうだん)とは、1871年12月(明治4年)から1899年(明治32年)11月30日〔明治32年10月2日勅令第393号。〕までの間置かれた、大日本帝国陸軍において下士を養成した組織である。
1870年5月(明治2年)に大阪兵学寮(後の陸軍士官学校に当たる。)内に置かれた教導隊をその前身とする。1871年12月(明治4年)に教導隊は教導団と改称されて東京に移され、更に1873年(明治6年)10月に兵学寮から分離されて陸軍省の直轄となった。1899年(明治32年)に廃止された。初期には、沼津兵学校から編入された生徒もいた(古川宣誉早川省義など。)。千葉県東葛飾郡国府台(現在の市川市)などに施設が置かれた。
== 明治7年 ==

=== 概要 ===
1874年(明治7年)10月31日に改訂された陸軍教導団概則及び陸軍教導団条例[]によると、陸軍教導団の概要は次のようなものであった。
陸軍教導団は、陸軍諸兵の下士に任ずべき者を教育培養する兵団であって、その兵種を区分し、次の6科とした。括弧内は毎年採用すべき人数である。
# 砲兵(約193名)
# 工兵(約78名)
# 歩兵(約1,335名)
# 騎兵(約24名)
# 輜重兵(約30名)
# 本楽及び喇叭(約30名)
なお、生徒修業中は、学術を修し、成業を目途となすため、一切、帰省・休暇を許さなかった。下士に任用された場合、下士の服役期間は7箇年であった。
卒業の上、その学術が秀逸であって、殊に行状方正な者は、選抜して更に陸軍士官学校に転入させて、将校の学科を教授した。このため、陸軍教導団は単なる下士養成機関であるにとどまらず、陸軍での出世を目指す者たちの登竜門的な側面を有していた。そして、教導団出身で陸軍士官学校を経た者から将官も多数輩出した。武藤信義に至っては元帥まで昇っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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